* sign というお話の未来として書いてあります。
未読でも問題はありませんが、興味のある方はそちらを先に読まれた方がよいかもしれません*









風花 *いずみ遊*







 やけに空が静かだと思っていたら、ちらちらと白いものが舞い始めた。
今年、最初の雪だ。
人々は、一瞬驚いた顔で頭上を見、何事もなかったかのようにまた俯いた。
大人の膝程しかない子供が小さな手で雪を追い、
自分だけで閉じている世界を親に伝えようと、意味の無い言葉の羅列を吐き出している。

「積もるまい」

 誰に伝えるわけでもないが、呟いた。

「そうでしょうね。
往診ですか?ドクター」

 返事が返ってくるとは、思わなかった。







 その辺りでお茶でも、と言われ、それは無理では、と院長室へ案内した。
脈拍0、体温15度。
それは、体温ではなくこの部屋の温度だ。
案内した男は、姿形はそのままに、紛れもない死者であった。
名前を、幻十と。

「思い出すなぁ」

 生前よりも生き生きとした ―矛盾は無論承知だが― 姿の幻十はソファーへ腰掛けた。
ぐるりと部屋を見渡して、窓のところで視線が止まる。
つられて私もそちらを見ると、その視線に気がついたのか、
幻十がこちらを振り返って、成功したいたずらを思い出した子供のように、にやりと笑った。

「ぼくは、先生を、ここで抱いた」







あの日。
幼馴染の手で、幻十が殺される前の日。
”封印”と交わり、進化を続ける幻十はこの部屋へとやってきた。

「少しばかり、お力を頂きたいと思いまして」

そう言って、彼は私を抱いた。
私を追い詰める言葉も手も容赦はなかったのに、目だけは助けを求めていた。
まるで神に縋る信者のように。

幻十と入れ替わるようにしてやってきたせつらは、私の身を清めた後、一言呟いた。



















「ぼくもあいつも、結局、光が欲しいだけなのかもな」







 すぐ側に幻十の顔があった。
思い出していた言葉を、そのままトレースした唇が私のそれに押し付けられる。
幽霊らしく、何の感触もなかった。

「参っちゃいますね。
今や、ぼくは先生に触れることすらできない」

 ふふ、と寂しげに笑う。
生前見ることの無かった表情だと、思った。



「あいつは、新宿も先生も手に入れた。
昔っからそんなやつでしたよ。
のほほんとしてるのに、欲しいものは知らない間に手にしてる。
ホント、嫌なやつだったんです」

 彼に断って、自分のコーヒーだけを淹れる。
その間にも彼は様々なことを話す。
時系列はめちゃくちゃで、思いついた順に話すからどこが区切りか、見当もつかない。

 時計の針は午後3時を指している。
雪は、まだ降っていた。







規則的な腰の動きが、唐突に止まった。
与えられる快楽に、身体は反応するが、それ以上のものではない。
漸く息が出来ると、深く酸素を吸い込んだタイミングで、幻十が口を開いた。

「友達甲斐の無いあいつは、ぼくのことを忘れるかもしれない。
でも、先生。あなただけは決して忘れない。
こんな屈辱を与えたぼくを、あなたは仮令死した後も、永劫呪うでしょう」

その言葉で、この茶番の意味の半分は理解した。
”生きた証”
言葉にすれば、虚しい。
ただ、縋りつく目に偽りはなかった。






















 最後の一口を飲み干し、漸く彼の顔を真正面から見つめる。
数年前、新宿の覇王を争い、一点の翳もない剣のようだった姿は、今はもうない。
ただ穏やかに、そこに居た。

「先生はぼくを忘れていない」

 ぽつりと幻十が呟く。
外からの光が、先ほどよりも明るい。
幾重にも重なった灰色の緞帳が、少しずつ薄らいできたらしい。

「私は君の事を忘れはしないよ」

 幻十は、それが彼の望んでいたことなのに、何故か驚いたような表情をした。

「恨んでいるからですか?」

 こちらを窺う仕草に口元が緩む。

 恨むくらいなら、あの日、この部屋からすんなりと外へ出したりはしなかった。
そもそも、「永劫呪う」という彼の言葉は、間違っている。
相手を呪う、といった関係になど、私たち三人がなれるはずもないのだ。

 許すなら生を、許せぬなら死を。
結果的に、せつらは生き、彼は死んだ。
私は彼の生死に何一つ関わってはいない。

 私の笑みに、彼は一層不可思議そうに、では何故?と問うた。
あの時、言うつもりのなかった言葉を、彼に伝えたくなった。








「君は私の、このドクター・メフィストの患者だからだ」








 生きたい、と訴えていた。
彼は生きるために戦い、死んでいった。
その思いを受け取ってから今まで、彼は私の患者の一人だ。

「ああ……。
本当に、だから、先生は……」

 窓から鮮明な光が差す。
そちらに一瞬、視線を向けた時、院長室の扉が開けられた。

「おまえ、学習能力ないだろ」

 珍しくあからさまに不機嫌と分かる顔で、せつらが立っていた。
すぐ目の前を見ると、先ほどまでそこに居た彼の幼馴染はすでにない。
せつらは彼を見たのだろうか?

 ぴりぴりとした頬の痛みを感じ、手をやると、うっすらと血がついていた。
幻十の糸だ。

”患者は、先生を傷つけませんよ”

 耳元で幻十の声がした。
だから、もう、忘れていい、そう言いたいのか?
声のした方を向くと、せつらがいた。

「だから、メフィスト。
何度言えば分かるんだよ」

「何を、かね?」

 せつらが私の頬に触れる。
彼の右手にも私の血が伝う。
ぞくりと肌が粟立つが、それも一瞬のことで、
彼の手はすぐに私の耳を強引に掴むと、自分の口元へと近づけた。







「僕以外のことを考えるな」







 鼓膜を直接振るわせる言葉に、眩暈がする。
耳を掴んでいない方の手が、私のケープに掛かる。

「せつら、往し……」

「僕以外のやつに傷つけさせるな」

 ぴちゃりと、せつらの舌が頬の傷をなぞる。
ソファーに押し倒され、上から馬乗りされ、
私はすでに、1時間近く遅れている往診の予定を全て翌日の予定にまわすことにした。
もう、何を言っても無駄だ。
幾度となく繰り返されたこの問答の、一番最初は、あの日だったのかもしれない。
ふと、思った。

「何を考えている?」

 私のケープを床に投げ捨てて、せつらが問う。
君のことを、と従順に答える気分ではなく、顔だけを動かして、窓の外を見る。
雲は晴れ、しかし、雪はまだ舞っていた。

「風花だ……――」

 太陽のもと、降り続ける雪。
人生のほとんどを、陽の光から隠れるように過ごしてきた男。
忘れられる訳が、ない。

「最悪だよ、おまえ。
往診は明日じゃなくて、明後日の予定に入れなおせ」

 噛み付くようにキスをされた。








「せつら……水を……っ」

 与えられる刺激に、何かを掴もうと手を伸ばすが、手に触れるのはソファーだけだ。
不規則に突き上げられ、予期しない快楽に不本意ながら声が出る。
喉は渇き、喘ぐ声は掠れ、せつらの動きには全くついていけない。

「何?もっと?」

 腰を両手で押さえつけられ、射精を促すように激しく身体の奥を擦られる。
違う、と言いたいのに、口から出るのは理解できない言葉。
ふと、数時間前に見た幼子を思い出す。

「メフィスト」

 動きが止まる。
意識が他へと移っていることを、どうしてこの男はこうも敏感に気がつくのだろう。
顎を捉えられ、視線を合わせる。
せつら自身もすでに数度は達したというのに、未だその目は欲情で潤んでいた。

「みず」

 今度は素直に聞いてもらえたようだ。
せつらがコップの水を口に含み、親鳥のように私に飲ませてくれる。
身体に染み渡っていくのを感じられた。

 全てを胃へと流し込んだのを確認してから、せつらがまた熱を刺し込んで来る。
身体の中で、冷たい水と熱い塊を同時に感じ、背筋に痺れを感じた。
低く呻くと、耳元をせつらの唇が掠めた。

「これでまだ2、3回は啼けるだろ?」

 2、3回?
思わず天を仰ぐ。
明るかった外は、すでに闇に塗りつぶされていた。

「……幼馴染は君がすぐ忘れると言っていたが、むしろ君は……」

 呆れて言ってしまってから、しまったと口を押さえる。
せつらは今日、はじめてにっこりと笑い、首をかしげた。

「あと、5、6回の間違いだったかな?」













幻十を書くと、何故か寂しくなってしまうので、ラブラブへ持っていく過程が難しかったです。
結果、せっちゃんがメフィ先生をものすごく愛している話になりました。
京月さん、リクエストありがとうございました。

書いているうちに、次の日の朝からの話が浮かびました→ 12時を過ぎたシンデレラ


2009年3月2日 いずみ遊



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