* 風花 というお話の翌日になります。 未読でも問題はありませんが、興味のある方はそちらを先に読まれた方がよいかもしれません* 12時を過ぎたシンデレラ *いずみ遊* 部屋の寒さに目が覚めた。 隣では平和な寝息を立てて、せんべい屋の主人が眠っている。 幼馴染から、「欲しいものは知らない間に手にしている」と評された男は、 つい数時間前まで私を組み敷き、私の身体に重い鉛を残していった。 往診は明後日にしろ、とか何とか言われたような記憶があるが、 身体はともかく、頭は早朝の湖面のようにクリアだ。 瞬時に今日のスケジュールを組み立てる。 まだ、10分くらいはこのままでいられそうだ。 風邪をひいてはいけないと、ずれていた布団を掛け直す。 うん、と呻って、せんべい屋がこちらを向いた。 美しい。 乱れた髪が、顔にかかり、薄く入った眉間の皺から、鼻梁、唇。 首筋から、すらりと伸びた背骨、肩甲骨の陰影。 彼を構成する全ての線が美しい。 「人の寝顔を見て笑うな」 目も開けていないのに、せつらが口を開いた。 見つめ過ぎて、起こしてしまったらしい。 そのまま暫く見つめていると、大きな目がじろりとにらんできた。 「襲うぞ」 熱を交わした次の日のせつらは、凶悪なまでに色香を振り撒いている。 掠れた声、乱暴な口調、気だるそうな雰囲気。 ……無駄だ。 私の前でしか見せない姿。 私だけのためにある姿。 これ以上ないくらい無駄で、笑える。 「おまえはもっと情緒のある起こし方ができないのか、メフィスト!」 クッションで殴られるが、笑えるものは仕方ない。 別に、寝顔を見て笑っているわけではないのだが、 本人に伝えたところで何がどうなる訳でもないので、言わない。 「愛しているよ、せつら」 寝癖の頭に口付けると、途端に大人しくなった。 「……やっぱり、いいや……」 呆れていいのか、照れていいのか分からなかったらしい。 脈拍68、体温36度。 健康で何より、だ。 じゃぁね、と訪ねてきた理由が全く分からないまま、せんべい屋は帰って行った。 雪の降るような日に、意味もなく出歩くほど、暇でも酔狂でもあるまい。 何かを言おうとしに来たのではないか、と思ったが、皆目見当もつかない。 ただ、幼馴染の件以外にも、彼を不機嫌にした理由がありそうだ。 その証拠に、私の背中には、一本の糸がつけられている。 せんべい屋の右手に繋がる不可視の糸。 不機嫌の頂点に達すると、何故かせつらは私を支配したがる。 今度は一体何を考えているやらと明確な解のない疑問を考えながら、病棟を一回りし、 朝礼のために第一会議室に赴く。 すでにほとんどの看護師と、各セクションの長である医師が集まっていた。 席に着くと、左隣に座っている婦長がちらりと私を見て、こほんと空咳をした。 「院長、昨日の往診は?」 不意をつかれた私は、婦長の顔をたっぷりと5秒は見つめてしまった。 がたんと大きな音を立てて、婦長の左に座っていた看護師が倒れた。 だから言わんこっちゃない、と医師が数名立ち上がり、看護師を外へと連れ出す。 これで、席次は元に戻るだろうな、とその姿を追いながら、 ゆっくりと答える。 「……10時から出掛けようと考えていたのだが」 倒れはしなかったが、心なしか頬を染めた婦長が、そうですか、と目をそらす。 しかし、意を決したように、「失礼します」と私の首元に手を伸ばしてきた。 「その……、今日も外は寒いですよ、院長」 シャツのボタンを留められた。 「ふ、……く、は、ははははは!」 せんべい屋のアルバイトが、店舗まで響いてきた主の声にびくりと肩をならした。 そんなことは露知らず、笑いのおさまらないせつらは、目じりにたまった涙を 指でぬぐいながら、なおも声にならない笑いを続けていた。 恋人につけてきた不可視の糸が、総長とのやり取りを、せつらに伝えていた。 首元に残した情事の証。 見えるか見えないかの処だったが、さすがメフィスト病院の総長。 きちんと見つけて、対処の方法も100点満点だ。 ただでさえ、せつらに抱かれた後のメフィストは変に無防備で、そそられる。 柔らかい微笑みに濡れたような瞳、黒髪は艶やかに靡き、何よりあの声だ。 戸山の吸血鬼ならともかくも、メフィスト病院の副院長ですら言葉に詰まる始末だ。 あんなもの見せびらかして歩いたら、新宿が大変なことになるに違いない。 ひとしきり笑って満足したのか、冷めてしまったお茶を手にする。 そして、一言。 「王子も、靴じゃなくて、他のものを証とすればよかったのに」 そうですね、と10時を知らせる鳩時計が顔を出した。 往診を全て終えた頃には、13時を回っていた。 患者は誰も彼もみな、順調に回復していて、問題はなかったが、 しきりに首元が気になる。 せつらが私に残すものは、基本的には消すことを禁じられている。 情事の後の重い体も、首元に残る赤い鬱血も。 シャツのボタンを留めたくらいでは、全てを隠せず、襟元から少し赤い跡が覗いている。 それが、目立つらしい。 10人中、10人に聞かれたのだから、よっぽど目立っているのだろう。 「そんなに目立つかね?」と訊ねたら、 「だって、ドクターのほくろも傷もない、真っ白な肌にそれじゃぁ、ねぇ」と言われ、絶句した。 消してしまいたい。 けれど、問われるたびに、身体の中心に甘い痺れが走るのも事実だった。 ここまでくると、病気だな。 やれやれ、と溜息をついた。 その時。 角をやや小走りに曲がってきた娘が顔を上げた。 紫サテンのワンピースが、北風に揺れる。 高田馬場の人形娘だ。 「あら、メフィスト先生」 青い瞳がすっと、首元を横切る。 これで、11人目。 「久しぶり、かな。 そんなに急いでどちらへ?」 髪で首筋を隠すように顔を傾げて見せると、彼女はえぇと上の空で答えた。 脈拍80、体温35度。 見せ掛けではない。 彼女を作った魔法使いは、彼女に本物と見紛うような姿と心を与えている。 それゆえに、彼女はせつらに恋をしている。 「秋さんのところへ行くんです」 先ほどまで、小走りで幸福を目一杯表していた彼女が、 太陽を見失ったひまわりのようにしょげてしまった。 私にここで出会ってしまったばかりに。 婦長の突然の問いにはすぐに答えは出せないが、 彼女の突然の沈黙にはすぐに最善の答えを出すことができる。 「それはそれは。 新作のせんべいの開発中だと言って、私など、ここ数週間、連絡すらないのに」 ”おまえねぇ、いつまで騙せると思ってるんだ?” 聞きなれたせんべい屋の文句が頭の中で聞こえるが、無視する。 そういう彼だって、彼女の前では結局、同じような態度を取るのだ。 彼女は私が差し出した偽の太陽を本物と正しく間違えたようで、 その柔らかそうな頬を紅色に染め、口元を少し緩めた。 彼女を、人形娘、としか呼べないことを、残念に思うのはこんな瞬間だ。 「そうなんですか。 私はその新作のせんべいの試食に来ないか、ってせつ……秋さんに誘われて」 嘘も突き通せば、真実に近づくものか。 思案していた私を見て、彼女は勘違いをしたようで、 招かれた者が招かれなかった者に対する余裕を見せて、こう続けた。 「12時を過ぎたシンデレラのお話、秋さんから聞きましたか?」 「ねぇ、知ってる?」 せつらはそう楽しげに切り出したらしい。 「この間、テレビでやってたんだけど、 シンデレラのもとの話って、魔法使いも何にも出てこないんだ」 「え、そうなんですか?」 「うん。 まぁ、いくつか似たような話があるらしんだけど……。 かぼちゃの馬車で舞踏会になんて行かないし、 そもそも『まぁ、靴がぴったり!』ってなるまで、 シンデレラガールは王子様と会ってないんだって」 「何故です?ガラスの靴はどこで落としてしまうのですか?」 「落としたんじゃないんだよ。 靴を鳥が持って行っちゃうんだ。 そして、それが王子様の前に落とされる」 「そうなんですか……なんだか……」 「なんだか、がっかり?」 「いえ、そういう訳ではないんですが……」 釈然としない彼女に、せつらは、これは僕の疑問なんだけど、と前置きをして、 こう尋ねた。 「今、世に広く浸透している『シンデレラ』の話で、 12時を過ぎた後のシンデレラは、一体どうなったんだろうって思わない?」 「え?王子様が残されたガラスの靴を手に、国中を探し回り、シンデレラを見つけました。 二人は結婚し、末永く幸せに暮らしました、めでたしめでたし、ですよね?」 せつらは、そうなんだけど、と微笑んだ。 「『12時を過ぎたら魔法が解けてしまう』って忠告されてるのに、 何でガラスの靴は、何日経っても消えなかったんだろう?」 片方残されたガラスの靴。 何故消えなかったか? 「じゃぁ、これは今度会うときまでの宿題ね」 結局、彼女は答えを見つけられず、「今度会うとき」になってしまったらしい。 彼女にとっては、そんな問題は些細なことで、 彼が「今度会うとき」という約束をしたことこそが、重大なのだ。 答えなど永遠に見つかるまい。 私が「そんな話は聞いたことが無い。答えを聞いたら教えてくれるかね?」と問うと、 彼女は微笑んだ。 「ええ、もちろんですわ」 機嫌はすっかり直ったらしい。 では、さようなら。 また小走りに、金色と紫色が遠ざかって行った。 「シンデレラ、か」 患者が途絶えた折に、ふと思い出して呟くと、看護師が「何か?」と訊いてきた。 「いや……。 君は、12時を過ぎたシンデレラはどうなったと思うかね」 怪我でも病気でもない雑談に、看護師はやや怪訝な顔をした。 私の口から、「シンデレラ」という単語が出てくることがよほどおかしいらしい。 電子カルテの二重チェックを行っていた別の看護師が、画面を見たままこう返して来た。 「院長は、魔法で出てきたガラスの靴が、12時を過ぎても消えないことを おっしゃっているのですか?」 娘が3歳になったと言っていたか。 ちょうど、就寝前に童話の読み聞かせでもしているのだろう。 怪訝な顔をしていた看護師も、何かに思い当たったように大きく頷いた。 「そういえば、そうね。 ガラスの靴が消えないなら、シンデレラのドレスも消えなかったのよね、きっと」 「ならば、何故、彼女はもう一度、舞踏会へ戻らなかったのだろうか」 二人の看護師は顔を見合わせて、別々の答えを口にした。 冴え冴えとした空に、白い月が浮かんでいる。 遠くの方で犬の遠吠えがするくらいで、比較的、静かな夜だった。 夜間の急患は、ダミーに任せ、西新宿方面へと向かう。 連絡は無かったが、行かなければきっと拗ねる。 長くは無いが、短くも無い付き合いからくる勘だ。 秋せんべい店。 シャッターはすでに閉じられていた。 裏へ回ると、ドアノブに手を掛ける前に扉が開いた。 「やぁ、朝以来だね」 一日中、ケープについていた糸が、全てを伝えていただろうに、 何事もなかったかのような挨拶だ。 「新作せんべいの試食会」の名残か、ちゃぶ台の上には様々な色、形をしたせんべいが なんの脈絡もなく置かれていた。 「お邪魔だったかな? 呼ばれたような気がしたのだが」 彼は後ろを振り返り、せんべいの山をみて、ああと肩をすくめた。 「あれはもういい。 早く上がれよ。寒い」 仰せの通りに。 靴を脱いで、畳に上がる。 脱いだ靴を見て、せつらは眉を顰めた。 「こういう靴だったら、何人も候補がいて、それはまた悲劇だな」 12時を過ぎたシンデレラは、一体どうなってしまったのだろうか。 魔法使いはこう言った、「12時を過ぎたら、魔法が解けてしまうよ」 なのに、ガラスの靴は消えなかった。 看護師曰く。 「ガラスの靴は、シンデレラじゃなくて別の人の靴だったのでは?」 もう一人の看護師、曰く。 「12時が過ぎたら、シンデレラではなくなるから怖くなって逃げたんでしょう、きっと」 「結局、君たちは納得の行く答えを見つけられたのかね?」 腕を枕にうつ伏せに寝ているせつらに聞いてみた。 「彼女には話してないよ。嫌な気分になるだけだ」 つむじが向こう側へ隠れ、顔がこちらへ現れた。 眠そうだ。 裸の肩が寒いのかもそもそと布団の中へ沈んでゆく。 「嫌な気分? 君はそれを私に伝えに、昨日の昼間、院長室に来たのではないのかね?」 「んー……」 しばしの沈黙。 眠ってしまったのだろうか。 前髪に隠れた顔を覗き込むと、ぱちりと目が合った。 「おまえ、あれだけしても、まだ懲りてないわけ?」 どうやら、別の嫌なことを思い出したらしい。 幼馴染の話は、鬼門中の鬼門だ。 「……まぁ、いいや。それに免じて許してやるよ」 首筋を指差される。 確か、先ほどは「もう消していい」と言われたのだが……。 「僕の考えはこうだ。 魔法で消えないガラスの靴は、魔法で用意されたものじゃない。 つまり、シンデレラが前から持っていた靴だ。 でも、酷い仕打ちを受けていたシンデレラがそんな靴を持っているはずがない。 彼女は、先に自分を置いて舞踏会へ出かけていった継母か異母姉妹のガラスの靴を 借りて舞踏会へ出かけたんだ」 夢のような時間。 12時を告げる鐘。 彼女は王子の手を振り切って逃げ出す。 「そもそも、一夜のダンスで靴の持ち主を探すほど、好みのタイプなら、 顔なんて忘れないだろ?」 魔法で作られたのは、はたして馬車やドレスだけなのか。 もしかして、その顔や体型まで……。 舞踏会の後、王子は家来たちにガラスの靴の持ち主を探させる。 国中大騒ぎだ。 何百、何千という女たちが、我こそはと足を差し出す。 もちろん、誰にも合うはずがない。 とうとう家来たちは、シンデレラの住む家へとやってくる。 そして、シンデレラの目の前で……。 全てを話し終えたせつらは、ぐるりと身体を反転させ、 天井を向いた。 「こんな話して、かわいい女の子を失望させちゃいけないからね」 だから、話さなかったんだよ。 そう、天井に囁くせつらは、まだ何かを隠している。 「それで?」 「……」 雪の降る中、わざわざ病院を訪ねる気になったのは、 少女の夢を壊す残酷な童話のサイドストーリーを思いついたからだけではあるまい。 暫く横顔を見つめていると、諦めたのか、視線を合わせてきた。 「どこで間違ったんだと思う?」 「間違う?」 「王子はシンデレラなんて探さなきゃよかったのかな? それとも、シンデレラは魔法が解けてもいい、って逃げなきゃよかったのかな」 突然、昼間見た小走りに走っていく後姿が思い出された。 金色の髪、青い瞳。 限りなく本物に近いけれど、本物の線は決して越えない、人形。 せつらはぽつりと呟いた。 「僕は試作のせんべいを焼きながら、こう思ったよ。 魔法使いがシンデレラなんて作らなければ良かったんだ、って」 王子が探してくれていると知ったときの、喜び。 しかし、その後に来るのは、ガラスの靴の本当の持ち主を思い出したときの、落胆。 目の前に来た王子が自分のことを覚えていない、悲しみ。 初めから何も無ければ、あるいは、シンデレラは気丈に生きてゆけたかもしれない。 けれど、手のひらに乗った宝石を奪われた彼女は……―― 「本当はね、今日の予定を先延ばしにしたかったのは、僕の方なんだ」 眠りに落ちる寸前、せつらから零れた言葉は本心だろう。 ”おまえねぇ、いつまで騙せると思ってるんだ?” 分かっている。 分かっているのに、それでも、私たちは…… 交互に、嘘という魔法を少しずつ、少しずつ継ぎ足している。 彼女の時計が、12時を過ぎないように。 暁さんのリクエストとして書いていたら、せっちゃんが登場してきてしまい、あえなく断念しました。 12時を過ぎたシンデレラというタイトルが浮かんで、書きながら、「どうして?」を繋げていった話です。 2009年3月4日 いずみ遊 *ブラウザを閉じてお戻りください* |