秋せつらは目に見えぬ糸を使い、静まり返った街を見下ろしていた。
地面と言う地面は全て緑に覆われ、電灯までトリカブトまみれだ。
幸運なことに<新宿>は地上に電信柱が無い為に、電気は滞りなく供給されている。

「雨の通り道?まさか、あの雨に……?
ちょいと待ってくれ。
……むむ、落合の方から四谷ゲート方面へと移動して消えてるだわさ」

 太った情報屋が教えてくれた情報を元に街を見てみると、
確かに先に日の射した落合の方が、より濃い緑に染まっていた。

「下水処理場があったな」

 水だけは豊富にある。
突発的なにわか雨を作るには十分だろう。

「水……?」

 せつらは思わず呟いた。
雨は水だ。
ならば……。









「雨は集められ、下水処理場へと流れていく。
地球上の水の量は増減しないとすれば、<新宿>で降った雨は
世界中何処へ行ってもおかしくはないということだ」

 ドクター・メフィストの言葉に、治療を受けたばかりの梶原区長は首を括りたくなった。
水が循環すると言うならば、トリカブトを発芽させる成分を含んだ雨は
世界各地で降る可能性があるということではないか。
<新宿>から、世界へ……。
地球最後の輸出品がトリカブトだったなどと、笑い話にもならない。

「トリカブトの解毒は、そう難しいものではない。
が、世界中ともなればそうは行くまい。
何処もがこの<新宿>並みの医療を持っている訳ではない」

 医師にとって重大なのは政治的なことではなく、ただ人の命だけらしい。
梶原区長は、生まれて初めて、自分以外の誰かになりたいと切に願った。

「ドクター・メフィスト。秋せつらが依頼を受けぬと言うならば、
貴方しかいない。どうか、<新宿>を……」

 区長の言葉を遮るように、メフィストは彼に向かって微笑みかけた。
まるで、患者に対するように……否、彼は真実彼の患者だった。

「お疲れのようだ。ゆっくり休みたまえ」

 目の前にいるのが総理大臣であろうと、ローマ法王であろうと全く同じ口調で話すのだろう。
魔法に掛かった様に、区長は目を閉じた。



 区長がすっかり寝入ったのを確認して、メフィストは扉の方へ振り返った。

「何時までそこにいる気かね、シビウ」

 今まで何もいなかった空間に突如、黒衣の美女が現れた。

「ご挨拶ね、メフィスト。気を利かせたつもりなのに」

 とは、冗談なのか。

「大量のトリカブトを一体何に使うつもりかな」

 シビウの言葉に一切触れず、メフィストは訊ねた。
その瞳には怒りや呆れというものは含まれていない。
純粋に、医師として、一介の科学者として答えを問うているのだ。

「別に、トリカブトなんて欲しくないわ。
アレを振り回して遊ぶよりもっと確実に大量生産できるもの」

 アレ、とはケルベロスのことを指すのだろうか。
シビウは男なら誰でも吸い付きたいと思うような唇を微かに歪めて、でも、と続けた。

「こんなクレイジーなことをして、貴方を苦しめる人間がいるなら
一度逢ってみたいと思って来たのよ」

 メフィストはちらりと区長の方を見てから、シビウの肩を押して部屋を出るように促した。
区長のお付きを頼まれた看護師が、部屋から出てきた二人を見てぎょっとしたが、
流石はメフィスト病院に勤めているだけはある、すぐに取り繕い、
軽く礼をして入れ替わりに部屋へと入って行った。

「中央公園で大量に鳥が死んでいたわ」

 まるで世間話のようにシビウが切り出した。
メフィストは微かに驚いた様にシビウを見た。

「衣を贈るのは一体誰かしら?」

















 せつらは四谷ゲートの橋の上に立っていた。
トリカブトは橋のちょうど半分までを覆っていた。
今や成長したトリカブトは一メートル程の高さにまで達していた。

「おかしい」

 せつらが立っているのは橋の中央。
目の前はトリカブト、後ろは橋の地肌が見える。
けれど、後ろには太陽を映しきらきらと反射する水溜りが点在していた。

「雨は普通に通り過ぎて行った、か」

 ならば?
せつらが結論に至ろうとしていた時、ポケットに入れた携帯が震えた。
連絡をするなと言ったのにする方もする方だが、電話を取る方も取る方だ。

「事態は進展してるのか、藪医者」

『君は今、四谷ゲートにいるのであろう?』

「何時から情報屋になった?」

『亀裂に入って、首を切られた竜もしくはそれに類似する生物の血をコートに塗りたまえ。』

 せつらの質問を全て無視して、メフィストは話を進める。
肩を竦めてせつらは目の前のトリカブトの草原を見た。

「……やっぱりね。
雨には何も含まれて居なかったよ」

『そんなことは、区の調査で既に分かっている。』

 しかし、どちらにしろ、ケルベロスの唾液は<新宿>の雨に流され、
何処か遠くへと広がっていくのだ。

「あっそう」

 それだけ言って、一方的に電話を切った。
ぐずぐずしている暇はなかった。
物語には、結末が必要なのだから。

「帰ったら、八つ裂きにしてくれる」

 やや蒼い顔で呟いて、せつらは亀裂へと飛び降りた。














いずみ遊  2003年1月26日




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