恋慕 *いずみ遊*










 静けさと美とはどうしてこうも相性がいいのだろうと
考えさせられる部屋で、僕の話を聞いていたドクターは
ひっそりと笑ったようだった。

「そんな話を私にしてどうするのかね」

 確かにそう言われても仕方は無い。
この部屋に訪れた本来の目的は、もう既に済んでいる。
もしかすると、早く帰れ、くらいは思っているかもしれない。
しかし、それを黙ったままでいるのは、
やはり僕の話をきちんと聞いてくれている証拠なのだろう。

「最後の恋の代わりに、想い続けるという恋愛感情は
お嫌いですか?」

 ドクターは、土産に持ってきた紹興酒を一気に飲み干すと、
黒檀の机のはじに置かれたせんべいを見た。
それは、僕が持っていくように秋さんから言われたものだった。
直接渡せばいいのに、とは言ったのだが、
「ただいま冷戦中」とそっけなく言われた。
冷戦中なのに物資の援助はするのか、と
人道的な戦争をする彼等の関係に変な納得をしてみたりする。

「夜香くん、君が何を言いたいのかは分かる。
けれど、私の口からそれを言わせるには、
例の薬を使わねば、叶うまい」

 唇が、熱くなった気がした。





























 鈍い太陽を背に飛び続けるのは、やはり疲れる。
そろそろ引き返そうか、という時に彼等を見つけた。
漆黒のコートと紫サテンのドレスの凸凹コンビ。
羽を閉じて、高度を下げた。

「あら、夜香さま」

 先に声を掛けてくれたのは、小さな少女の方だった。
とっくに気付いていただろう青年――秋せつらは、小首をかしげて、

「やぁ、夜香」

 とのんびり言った。

「お久しぶりです、秋さん、お嬢さん。
二人揃ってどちらへ?」

「藪医者の帰りだよ。
君のところの吸血鬼を一匹、運んできたところだ」

「それは……ずっと探していたんです。
ありがとうございます」

 昨夜からずっと姿が見えなかった者が一人いて、
朝から捜索していたのだ。
メフィスト病院に搬送されたのなら、安心だ。

「礼ならこの娘に言ってくれ。
ぼくは藪医者に電話しただけだから」

 せつらにそう言われて、少女は恥ずかしげに顔を伏せた。
彼女が本当の人間ならば、その頬はバラ色に染まっていただろう。
――人形さえ惚れる男、か。

「ああ、そうだ。夜香、きみに話があったんだ」

 ぽん、とわざとらしく手を打って、せつらはこちらを見た。
話を合わせろ、という合図だ。
僕は慌てて、少女にありがとうを言った。
あからさまにがっかりした表情をして、彼女は一人で歩いて行った。




























「残酷だと思わないでくれよ」

 お茶を差し出しながら、せつらが苦笑いした。
この人が、こんな顔をするのを知ったのは、
いつのことだったのだろう。

「気付かない振りをするしか、ないんだ」

 ヌーレンブルグのところの娘の恋心を、彼は受け入れるつもりはない。
けれど、拒否するつもりもない。

「それがせつらさんの考えなら……」

 僕は、せつら店長直々に焼いた厚焼きせんべいを一枚頂く。
店先ではアルバイトと客の、店長を出せ・店長は出し物ではありません、
というやりとりが行われている。

「あれは、死を知らない愛し方だ」

 いやにきっぱりとした断言に、どきりとする。

「そうだと思わないか?」

 底の無い深い目をこちらへ向けてくる。
僕は一口齧った厚焼きを片手に暫く固まって、溜息を吐いた。
その瞳は卑怯だろう、という呟きは胸に押し込めたまま。





「昔、もの凄く好きだった人に別れを切り出したことがあります」

 せつらは目だけで、話を促した。
数時間後にメフィスト病院の院長室で繰り返すことになる話だ。

「彼女が死んだ後のことを考えるのが、苦しかったんです。
彼女は普通の人間だった、僕はそうではない。
……僕が子供だったのかもしれない。
けれど、今でも耐えられないと思います。
彼女は、最後に言いました。
『最後の恋にしたかったのに』と」

 今でも、泣くことしか知らないように涙を流していた彼女を思い出すと
胸が痛む。
こんな話をしたのは、せつらが初めてだった。

「分かりますか?
僕にとって、どの恋も最後になんてなり得ないと知った時の
あの挫折感。
彼女を失った後、僕は一人で生きていかなければならない。
けれど、この命は長すぎます。
喪失感は、時間が押し流し、また誰かに巡り合う。
十分すぎる時間とは、そういうものです」

 せつらはお茶も飲まず、真っ直ぐに僕の目を見ていた。
利用されている、と気付かない程、愚かではなかった。





 暫く沈黙が続いた後、せつらが口を開いた。

「だから、想い続ける?
相手だって分かっている。
君が、自分の何倍も生き、その間にまた恋に落ちることも
あるだろうと、分かっている。
そんなことも分からないような馬鹿じゃない」

 話しながら、せつら自身の話になっていることに、
本人は気付いていない。

「だから、自分が生きている間だけでいい、
深く愛して欲しい。
……そう、彼女は望んでいたんじゃないの?
彼女にとって『最後の恋』であれば、それで良かった」

 せつらはそこまで一息で言うと、ようやく自分で淹れたお茶を
一気に飲んだ。
彼女という名を借りて自分自身を曝け出したのだ、
湯呑みの一杯くらいでは足りないかもしれない。

「死ぬまでそう思っていてくれればいいのですが……。
人間は利己的です。
いつかは自分以外の人を好きになる相手を愛する苦しみを
そういつまでも抑えられませんよ。
勿論、これは、僕の考えです。
上手く行っているカップルも知っていますし、
彼らを否定する気はありません」

 上手く行っているカップルが、これから先も上手く行くとは
限らないし、とは付け加えなかった。
一方は老い、一方は出会った頃のままという状況は、
互いに良いものではないのは、せつら自身が分かっているだろう。

「でも君は、彼女が苦しみに耐えられなくなるより前に、
別れを切り出した」

「それは、僕のエゴです。
こんなにも彼女が愛しいのに、いつかは違う相手を愛すのだ、
そして、その次もその次も……。
深く愛せば、それだけ自分が傷つき、しかしその傷が癒えれば
再び同じことを繰り返す。
そんな自分に嫌気がさしたんです。
だから、そんな循環が始まる前に自分から断ち切った。
断ち切ることで、彼女との恋を永遠にしたかった」

 ――ドクター・メフィストという名を持つ男も、あるいは。
そこまで言ってやる義理はないだろう。
僕は立ち上がって、改めて仲間の礼を言う。

「……病院へ行くなら、これを持っていってくれよ」

 手渡された紙袋には、せんべいが入っていた。




























「何をせつらに言われたのかは知らないが……」

 ドクターは肩越しに背後の新宿を眺めながら口を開いた。

「私は、君の言う”最後の恋”というものが、
そんなに美しいものだとは思わぬよ」

 長い睫毛が数度、上下した。
彼の目は、どのように世界を見ているのだろうか。

「何故です?」

「分からぬのかね?」

 振り返ったドクターは、思わず手を伸ばしたくなるくらい
美しかった。

「わ……わかりません……」

「そうか……残念だな」

 答えは、教えてくれなさそうだった。















   
















 数日後、助けられた仲間と共に、ヌーレンブルグの家に訪れた。

「まぁ、わざわざいらして頂かなくても結構でしたのに」

 助けてもらった礼に、と花束を差し出すと、少女は顔をほころばせた。
実際には、そう見えた、という話だが。

「大事に至らなくて良かったですね」

「メフィスト先生直々の診察ですからね。
本当にありがとうございました」

「こちらこそ、こんな奇麗な花束まで頂いて。
ありがとうございました」

 少女はちょこんとお辞儀をした。
帰ろうと踵を返すと、あ、と小さな声がした。

「なにか?」

「いえ、メフィスト先生のところにいらっしゃいますか?」

 もう通院の必要はないと言われたので、仲間も僕も
行く用はなかった。
ない、と口を開こうとした仲間を制して、

「はい」

 と答える。
それは、予感のようなものだった。

「お届けして欲しいものがあるのです。
これから私、お使いもあるので、
夜香さまにお願いしても宜しいですか?」

 ええ、と言って受け取ったのは、小指ほどの大きさの瓶だった。
中身は液体のようだ。

「それと、……せ……秋さんからの伝言で、
『無条件降伏なら、赦さなくも無い』とのことです」

 ずきんと、ほとんど動くことの無い心臓が跳ねた。
”残酷だと思わないでくれよ”という言葉が耳に蘇る。
それを、彼女を通して言わせようとしていたのか……?

 お願いします、と頭を下げた少女の顔を、
作り物だと分かっていても直視できなかった。





























「あれはそういう男だ」

 受け取った小瓶を蒼い光に透かしながら、ドクターは笑った。

「私も悪いとは思うのだがね。
あの小さな娘が、どれだけ水晶の瞳から涙を流し、
黄金の人工心臓を傷めているのか、考えるのは忍びない。
それくらいの心は持ち合わせている」

 花束に笑みを浮かべた顔を思い出して、
それはそうだろうな、と思う。
患者以外の人間を、人間とも思わないような院長だが、
彼だって人を愛する心を持つ人間なのだ。

「どちらが正しいのかなど尋ねてくれるな。
私にも分からぬよ。
見込みの無い相手は諦め、早く良い人を見つけてくれ
というせつらの考えも、
永すぎる生を持ち、いつか相手がいなくなるのだから、
せめてずっと想わせてくれ、という考えも、
言っている本人にとっては真実なのだから」

 それは、そうなのだ。
決して分かり合うことの出来ない、絶対的な価値観の相違。
永遠に区切りをいれることが可能なら、と何度思ったことか。
死を持って、そのことを体現すれば良かったのか。
あの時、涙を流す彼女に、この胸を杭で打ちつけてもらえば
互いに楽になれたのかもしれない。

 目の前に出されたコーヒーも、時間が経てば冷める。
生きていれば爪は伸び、切らなければならない。
そうやって、割り切って、変わることを容認するしか
道はなかったのだろうか。

「先生……」

 圧倒的な苦しみに支配された胸が、呼吸を求めて言葉を口にした。
ドクターは彼の患者に向ける眼差しで、言った。

「人が100人いれば、100通りの愛し方がある。
それを、自分の永い命と比べてはならないよ、夜香くん」





 その言葉は、一条の光だった。






「最後の恋が美しいと思えば、胸を突けばいい。
永遠に愛することが自分に合っていると考えれば、そうすればいい。
命が長かろうと短かろうと、そんなことは、個人の考え方に過ぎない。
深く愛するのも、思い続けるのも、命の長さになど左右されるものでは
あるまい?
そこに余計なファクターを設けるからおかしくなる。
君に分からぬ考えでもないだろう……」

 そう言ったドクターは動けないままでいる僕の前で、
小瓶のコルクを抜いた。
中から出てきたものは……

「……!」

 はらはらと舞う、無数の小さな薄桃色。
横を見れば、ずっしりと、樹齢百年は経っただろうかという桜の大木が
まるで初めからそこに根を下ろしていたとでも言う風情で立っていた。

「桜は散るから美しい。
けれど、また再び春に咲かねばがっかりしないかね。
春が巡れば、蕾が膨らみ、花は咲く。
そこに一瞬も永久も、関係ない」

 それを、何故、直接あなたの愛する人に言って差し上げないのですか。
喉まで出かかった言葉に、ドクターは気付いたのか気付かないのか、
桜の舞う中で彼は微笑みながら呟いた。

「それに気付かぬ男、とは思ってないのだけれどもな……」



 ――ああ……。







 胸に射した一条の光が、広がっていくのが分かった。









 貴方の愛した人は、自分が傷つくことも恐れず、
海よりも深く、貴方を愛していますよ。









何の根拠もないのだけれど、今すぐ、せつらに伝えたかった。














 

リクエストありがとうございました! 何て素敵なお題なの?!と小躍りした記憶が
あります。完全に書き終えるまで時間が掛かってしまって申し訳ないです。
ということで、この続きを読みたい方は↓からどうぞ。Rのつく小説です。自己責任。

恋慕 extra


いずみ遊  2005年3月16日





*ブラウザを閉じてお戻り下さい*