ぴくりとも動かなくなったメフィストを暫し見つめ、
次に秋せつらが取った行動は、<魔界都市>の人間らしいとも、
そうでないとも言えた。
すなわち……ドクター・メフィストをベッドへと横たえ、
メフィストのダミーへ2,3の指示を与え、
何食わぬ顔で病院を後にしたのだ。
せつらは靖国通りを直進し、犯罪横丁を通り抜ける。
何時もののほほんとした雰囲気は欠片もなく、
触れれば、手が凍ってしまいそうな程に冷淡な空気を
纏っている。
しかし口元に浮かぶのは笑み。
今の彼を、「僕」とも「私」とも言えなかった。
彼が足を止めたのは、築何十年かと指を折って数えたくなる様な
旧家であった。
<魔震>以前からこの地に有るのだろうか。
およそ耐震性に優れているとはいえないこの家が
あの<魔震>に耐えるとは……。
<魔震>による「選別」は未だに科学者達の興味を引いて止まない。
「いるんだろ、出てきなよ」
引けばそのまま壊れてしまいそうな戸の前で、せつらが低く凄んだ。
彼にしては珍しいことである。
普段ならば物音立てず侵入し、相手の不意をつくというのに。
「……逃げたか」
それが如何に凄惨な一言だったのか。
旧家を取り巻く不可視の糸を目にすることが出来た者がいれば、
その場で首を括ってしまいたくなったであろう。
秋せつらの妖糸から抜け出すとは……。
振り返って歩き出す直前、秋せつらの顔に壮絶な表情が浮かんで消えた。
せつらが次に向かったのは新宿通りに面したとあるビルであった。
一気に3階まで駆け上がり、妖糸を張り巡らせる。
廊下の突き当たりのドアを慎重に開く。
中の様子は既に調査済みだ。
「また、逃げた」
寂れた事務所。
人っ子一人いない。
ふとせつらが近くの事務用机に視線を落とす。
『私を捜して。見つけないで。』
そう書かれたメモ用紙が一枚、哀しげに置かれていた。
せつらはそれをくしゃくしゃに丸めて近くのゴミ箱に投げ入れると、
階段を降りるのももどかしく、窓から地上へと舞った。
――捜して
――見つけないで
一見相反しているような、謎掛けのような言葉だが、
それは同時に存在しうる感情だと、せつらを見た人間は言う。
せつらはこの追いかけっこの行く先を既に見切っていた。
見切りながら、見えない相手を神楽坂、高田馬場、落合、と
追った。
追いついたと思えば、消え、その割には自分に巻きついた糸からは
逃れない相手。
<区内>をほぼ一周し、やはり、せつらの予想通りに
メフィスト病院へと戻ってきた。
既に時は夕暮れ。
メフィスト病院の屋上も真っ赤に染まる。
今日もまた幾人かが夕焼けに心を移し、異世界へと旅立つのだろうか。
「もう、終わりだ」
せつらが呟くと、「ええ」と細い女の声が返事を返した。
うっすらと、陽炎のような影が揺れる。
よく見れば……それは、メフィストを主人とした依頼主であった。
「あいつの魂を早く返せ」
女はうっすらと笑った。
最後の意地、とも言えた。
「拒否したらどうなさりますか?」
刹那、せつらの瞳に見るものを一瞬にして殺してしまいそうな
強烈な殺意が横切った。
それを見え、女は悲しげに目を伏せた。
「先生なら、もう回復なさっています。
私の力ではやはり力不足なようで」
「何故、メフィストを狙った?
こんな回りくどいことをしなくても良かった筈だ」
「貴方に私の気持ちなど分かる筈がありません。
もう何もかも終わりました。
お金は振り込んであります。
さぁ、一思いに殺してください」
まるで女優のように、手を広げ、せつらに向かって微笑む。
太陽のスポットライトも地平線の彼方へと消えそうだ。
それは相応しい終わりのようにも思えた。
「――この病院の中で、人殺しなんて出来ない」
その一言で、女は明らかに動揺した。
女優の仮面が外れる。
膝から地面へと崩れ落ち、両手で顔を覆う。
ぽたり、と冷たい雫が彼女の足元を濡らした。
「最後まで、あの男……あの男が邪魔をするのね……」
あの男とは、この病院の院長のことであろうか。
せつらは目を細め、女を見下ろしていたが、
ふいにその表情が和らぎ、女の隣に腰を下ろした。
女は驚いて顔を上げる。
「メフィストに嫉妬するなんて、馬鹿げてる」
ぽつり、とせつらが漏らす。
女は首を振った。
「分かっています。あの人は美しい人。
私……私達の様な者が敵う相手ではありません」
「そういう意味じゃない。
あいつは女の嫉妬というやつが大嫌いだ。
虫けら以下とみなして、存在すら認めたくない。
だから、あいつに嫉妬したりしても、意味は無いんだ。
あいつは嫉妬された事実すら無かったことにする」
「でも、私達は、貴方と一緒に過ごしたかった。
それにはあの人が邪魔で……!」
せつらは急に顔をあらぬ方向へ向け、
そこを凝視したまま、独り言の様に言った。
「好きな相手が誰を想っていようと、その誰かを傷つけるのは
嫌ってくださいと言うようなものだ」
女は何かを言いかけて、口を閉じた。
うっすらと影が消えていく。
夜が、訪れる。
「消えてしまう……私達の身体……」
「ごめんなさい、ほんの出来心で貴方の心を覗いてしまって」
「貴方の心には他の人がいる。けれど、一瞬でも……」
「貴方に見て欲しかった」
「私だけを見て欲しかった」
「そして、貴方と一緒の時を過ごしたかったの……」
哀しげに幾つもの声が重なる。
ゆっくりと浮上する女。
せつらは立ち上がり、女を見上げる。
夜空に拡散する様に、蒼に染まっていく彼女……彼女達を
最後まで見届けた。
それが、最後の依頼だとでも言うように。
「送り火をたくかね」
何時からそこにいたのか、白い医者がひっそりとせつらに問う。
せつらは首を縦に振った。
医者はケープの中から重厚なライターを取り出し、着火させた。
ぼっ、という音と共に、空へ、紅い炎が昇る。
まるで、紅蓮の竜の様だ。
「分からなかったらどれ程いいか……」
炎を見つめながら、せつらが呟く。
愛する人への想いを断ち切れず、彷徨う霊。
同じ想いを持つ霊が引き合えば、
生身の人間となりせつらに依頼をしたり、
せつらの記憶の中から、メフィストの顔を取り出して
写真とすることも、或いは出来ることなのだろう。
相手の感情や記憶を読み取ってしまう。
好きな相手ならば、そういうこともしてみたい。
けれど、その相手の中が別の人間のことで占められていたら……。
『貴方に私の気持ちなど……』
――分かる。
痛いくらいに、分かる。
もし、自分が君達だったら……
その相手を殺し、自分だけを見て欲しいと願ってしまうだろう。
だから、君達と追いかけっこをしたんだ。
「メフィスト」
呼びかけて、抱き付く。
白いケープが不恰好に歪んだ。
「何かね」
そっと抱き返され、安堵で心が満たされる。
穏やかな口調に一日の疲れが落ちていく。
「お前だけは変わらないよな?」
強靭な鋼のように、貫かれた一本の信条。
身勝手な言葉に、メフィストは微笑をくれただけだった。
「夏が終わる」
頭上で、炎が上昇を止め、まるで花火のように散った。
一言600キリ。
実は、全く違う話として書き始めたのですが、キリ小説に変えてしまいました。
大方こんな話だったんですが、夏企画とリンクした科白がちらほら。
リク内容は「花火とせつらと人捜し」By陸さん。
花火はこじつけですが(笑)
でも、ラブになっちゃいました、ごめんなさい。 いずみ遊 2002年8月17日
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