月に明かす *いずみ遊*










 断末魔の悲鳴を、天使の賛美歌に変え、彼は立っていた。
何時からそこにいたのか、せつらにも見当が付かない。
身体を瞬時に液状の物体へと変化出来る暗殺者との戦いの場に、
せつらが張った幾千ものチタン合金の糸。
彼はそれらに一つも触れなかったというのか。

「何時から見ていた」

 静かにせつらが問う。

「君がここに来たときから」

 同様に、静かに医師が返した。
見付かったからと言って近付くでも去るのでもない。





 妖気を含んだ風が凪ぐ。





「何の用……」

 言葉が終わらない内に、せつらがその場に倒れ込んだ。

「随分と手酷くやられた様だな」

「見てないで、助けろ、ヤブ」

 何とか片膝を付き、顔を上げたせつらの目の前に、
音も無く医師が立っていた。
純白のケープが割れ、中から眼が眩むような優美さで
手が現れる。

「いっ……」

 医師に腕を掴まれ、思わずせつらは顔を顰める。
柔らかい敵は、外傷を一切残さずに相手を傷つける。
それは、せつらに対しても同じだった。

「骨が折れているな。――それに、入り込んでいる」

 医師はせつらを見下ろして言った。
背後には月。
この医師に掛かれば、月など、バラを飾る花瓶に過ぎぬ。

 せつらは医師を見上げながら、喉の渇きを覚えていた。

「何が……」

「聞かずとも分かるだろう?
さっきの気色の悪い、液状物体だ。
ざっと見て、26箇所。
どうするかね?
病院で治療を受けるか?」





 それとも――

喉が、渇く

それとも、此処で――

医師が微かに笑う









 瓦礫に埋もれた空き地。
<魔界都市>には珍しくないその場所で
立ち込める甘い香り。

「17」

 医師が一つ数を数えるたびに、せつらは医師のケープを握り締め、
喘いだ。
硬いブロックを背に、前を肌蹴、素肌に医師の唇を受ける。
それが治療だと、一体誰が……
否、本人すら思っていないだろう。

「18」

 脇腹に、一つ。

「19」

 腰骨に一つ。

「20」

 何時の間にかにズボンすら落とされ……。

「21」

 足首に一つ。

 医師は漸く、屈めていた身体を起こした。
幾つもの―それが正確には26あると医師は知っているが―花びらを
その白い肌に散らしたせつらを、眩しげに目を細めて見遣る。

「めふぃすと……」

 上気して、微かに赤みが差す頬。
震える双眸。
微かに開いた濡れた唇。
それは、この医師のみが知る彼の隠れた姿だから――
医師は不安げな彼にきちんとした病名を告げることにした。

「あの液状物体……君の敵だが、
自分の身体の一部を相手に潜らせる事で、相手を内側からも
傷つける技を使っていたらしい」

「……いい……」

「最後まで聞きたまえ。
戦いの最中、勿論、相手に対しての殺意が募る。
そこで、自分の身体の一部……液状になれば、ただの液体ということに
なるのだが、それを相手の体内へと忍ばせる。
すると、『殺意』という意思を持った液体が、相手の体内で
相手に『殺意』を持つ。
そして、相手を内側から殺すことが出来るという仕組みだった様だ」

「はやくっ……!」

「つまり、君の敵は戦いながら君に欲情していたらしい。
死ぬ間際の恍惚もあったかもしれぬがね。
だから――」

「この藪医者が……っ」

 せつらは医師の首に手を回し、そのまま唇を合わせた。

「そんなのは後で聞く。
今は早く、」
――おまえが欲しい。


 ひっそりと、医師が笑った。






「治療はどうするのかね?後、5箇所残っているが」

 医師はするりとせつらの太腿を撫で上げ、5箇所を示す。

「どうせ……んぁ……っ、同じ、ことじゃないかっ」

 震えるせつら自身を繊手が包み、淫らに指が動く。
自然に揺れる腰を、止める術も無く――
月の下で、全てを曝け出すのみ。


















「金輪際、私を藪医者などと呼ばないで欲しいものだね」

 荒い息をつき、呼吸を整えるせつらを尻目に、医師が言った。
何時も通り。
憎たらしいにも程が有る。

「藪は藪だ」

「君が患者失格なのだ。私は悪くない」

 何処から出したのか、医師は白いハンカチでせつらの身体を清めてやる。
見れば、コンクリートで擦れて、血が滲んでいる所も有る。
無論、大半は砂と、どちらの物とも知れぬ精で汚れているのだが。

「ふざけるな。藪から棒に何を言う」

「そうだろう?医師を誘う患者など、患者ではあるまい」

「煽ったのは、おまえだ。
患者を煽る医師なんて、藪以外の何でもない」

「煽ったつもりは無いが?」

「嘘をつけ。あれのどこが治療なんだ。
何処からどう見たって、セクシャルな意味しかないじゃないか」

 医師は、せつらのシャツのボタンを留める手を暫し休めた。

「つまり、君は私がとんでもない藪医者だと言いたい訳だな?」

 問われて、せつらは顔を顰めた。
この雰囲気。
碌なことを考えていない、この医師は。

「成る程」

 じりりと白い美貌が近付く。
せつらは反対に、身体を引いた。
しかし、背中にある瓦礫でそれ以上下がることは出来ない。

「何だよ……」

「私は確かに藪医者らしい」

 酷く淫靡に医師が笑う。
だから、それを煽っているというのに……。
せつらは、必死に伸びそうになる手を押しとどめた。
しかし――





「一箇所、治療するのを忘れていた」





 明らかに意図したとしか思えない行為。
それを詰る前に、せつらは心置きなく医師に手を伸ばした。











「今度はもっと良く治療してくれるんだろ?」

 口付けの合間の、他愛も無い言葉。
医師が肩を竦める。

その背後で、

月が艶かしく煌いていた――











いずみ遊 2002年6月23日




束縛するものへ





*ブラウザを閉じてお戻り下さい*