病 *いずみ遊*







 何度も卓袱台の上の携帯電話をいじり、溜息の山を作る。

 <魔界都市>新宿の、化身とも言える希代のマン・サーチャー、
秋せつらが5分間行っている行動は、
この様に一行で書き表されるものだった。

 店の方ではバイトの女の子が押し寄せる客を捌いているのだろうが、
店主のせつらは一向に動かない。
いや、手伝おうとして店へと続く戸を開けた途端、大騒ぎが起き、
バイトに締め出しを食らったのだ。
老若男女関らず骨抜きにする美貌とは、
あらゆる場面において弊害を引き起こすものである。

 と、言う訳でせつらは暇なのだ。
いや、つい先程、人捜しの依頼が来たから実際には今まで暇だったのだ。
取り掛かれば、また忙しくなる。



 また一つ盛大な溜息をついて、せつらは卓袱台に顔を付けた。
自然と、壁に貼られたカレンダーに目が行く。
5月6日。
もう、10日目だ、とせつらは思う。
10日も逢ってない、と。
しかも、声すら聞いてない……――
考えると、心臓の辺りが苦しくなる。
頭の中に、白いケープが浮かんでは消えた。

「大体、おまえが悪いんだ。
こういう時に限って電話を掛けてこない」

 携帯の待ち受け画面相手にその先に繋がる人物を詰る。
返事が返ってくる訳も無い。

「だから、僕が宣言を取り消さなきゃならないんだ」

 ぶつぶつと言い訳を言いながら、せつらは意を決した様に、
通話ボタンを押した。



 Turr……と、無機質な音に耳を澄ます。
一回、二回……。
出ないだろうな、とせつらは漠然と思った。
三回、四回……。
10日間もあったゴールデンウィーク中、新宿はどこもかしこも
観光客で溢れ返っていた。
秋せんべい屋しかり、メフィスト病院しかり。
 せんべい屋はまだましだ。
客が来れば来るほど儲かる。
けれど、病院は違う。
患者が来れば来る程、――それが仮令、仮病や無害な妖物摂取であったとしても――
貴重な時間が割かれる。
七回……
「只今、電話に出る事ができません……」
やはり。


「メフィスト?僕だけど……。
今日から、暫く仕事が入ってる。
……だから、電話……し返さなくていいよ」


 忙しくなる前に声だけでも聴こうと、そんな考えに至った自分にも参ったけれど、
逢えない、話もできない、というこの状況の方が堪えていた。













 四日間。
それが、依頼者の出した期限だった。
四日内に捜してくれ。
でなければ間に合わなくなる……、と。
何が間に合わないのか、せつらには聞く気力すらなかった。
早く、仕事を終わらせることだけを考えていた。
予想外に梃子摺ったが、何とか期限内に依頼された人物は見つかった。
ただし、死体で。
四日分のインシュリンしか持っていなかった彼は、
通りすがりのヤクザに殴り殺されていた。
この街で用心しなければならないのは、病気よりも他人である。












 じりじりと、身体の芯が燻っている音までが聞こえそうだ。
家に着くなり、明かりも付けず、畳みに倒れこんだせつらは
そこから一歩たりとも動いていなかった。
外は本格的に暗くなり、部屋も漆黒に染められているのに。

 静かな部屋に、せつらの呼吸音だけが響く。
頭も、棍棒が一本入り込んだように重い。
喉がヒリヒリとし、水が欲しい、と欲求するが、
身体を動かせない状態ではどうにもできない。
ただただ、身体を鎮めるのみ。


 その内、逆に身体が冷えてきた。
背中からも畳みの冷たさが浸透してくる。
くしゅん、とくしゃみが一つでた。
もしかして、風邪かもしれない。
せつらは気だるげに手を動かした。
ごぞごそと携帯を取り出し、4日前も掛けた番号へ掛けようとするが、
寸前、待ち受け画面が明るくなり、ある名前を表示する。
それは、せつらが今掛けようとした人物の名前だった。
ちょうど押そうとしていた通話ボタンを慌てて押した。

「……もしもし」

「どうしたのかね、随分と早いな」

 全身の緊張が解けるのをせつらは感じた。
二週間ぶりの、白い医師の言葉だった。

「せつら?」

「うん……」

「仕事はもう片付いたのか」

「うん」

「よろしい。
今、君の店の前にいる。
良ければ、一緒に帰らぬかね?」

 せつらは微笑んだ。
この医師に家など無い。
しかし、せつらは今、家にいるのだ。

「もう指一本動かせない。迎えに来い」
―― 一緒に帰ってやるから。

「承知した」

 指が動かせない理由も聞かず、通話は切られた。
<魔界医師>ならば最初の一言で風邪だと見抜いたのかもしれないが。












 
 一分もしない内に戸が開いて、暗闇の部屋へ月が忍び込んできた。
ドクター・メフィスト。
月光も己の醜を恥じて隠れる様な、そんな美貌であった。

「久しぶり」

 顔だけをメフィストの方へ向け、せつらが口を開いた。
メフィストは足元に寝そべるせつらを見て首を傾げた。

「風邪だけとは思えんな」

 やはり、お見通しだったらしい。

「重大な病気も併発してるんだ」

 せつらが両腕をメフィストの方へ突き出した。
起こせ、という意思表示らしい。

「ほう、何かね」

 <魔界医師>にでさえ分からぬ病気がせつらの身体を蝕んでいるのか……。
メフィストは面白げに回答を促した。

「メフィスト不足病だよ、分からないのか?」

 メフィストは望み通り、せつらを起こし抱き寄せた。
せつらは気持ちよさげに瞳を閉じ、メフィストの胸に収まった。

「それは、確かに重大な病だな」

「だろ?」

 それに、とせつらは夢を見る様に囁いた。

「治療が必要だ。それも、今すぐに」

「私の患者になるのかね」

 低く、メフィストも囁いた。
せつらは流れ星の様に、一つ笑みを零す。

「他に誰が治せるんだ?」










 そして、腕を伸ばし、暗闇に映える彼へ手を伸ばす。
柔らかな強制に、彼が拒むそぶりを見せないのは当然で、
二人の影が重なったのは必然の出来事だった。











「これで、完治する様な病じゃないよね?」

 確信犯の微笑でせつらが問う時、
メフィストに逆らう権利は生まれないのが理……――

「……院長室へ」

 ――夜は長いのだから。






















いずみ遊 2002年5月6日


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