No more chocolate *いずみ遊*
「チョコレートは入りません。
代わりに煎餅を買っていってください」
秋せんべい店の店先に張られた一枚の紙が、
風にはためく。
立春は過ぎたとはいえ、まだ冬の冷たさを含んだ風。
黒いマフラーを口元まで引き上げて、秋せつらは店番をしていた。
一ミリでも動けは熱が逃げる、とでもいう様に固まったまま
ぴくりとも動かない。
本来ならば、店番はバイトに任せて、今日一日、
メフィスト病院の院長室に逃げ込む予定だった。
が、お得意様への配達が入ってそうは言っていられなかったのだ。
「店長、配達行くんですか?それとも、店番?」
店前に行列した女の子達を捌きながら
殺気立った口調でバイトが訊ねた時、
配達、と言ってそのままとんずらしてしまえば良かったのに、
そうしなかったのは、せんべいが売れすぎて、
急遽、新しい分を焼かなくてはならなかったからである。
お昼が過ぎ、漸く店が何時もの様子を取り戻しつつあった。
このまま行けば、バイトが帰ってきたら入れ替わりで院長室へ
隠れることが出来そうだ。
きっと夕方にはまた、せつら目当ての客が殺到する。
もう、うんざりだ。
幾ら売り上げが上がると言っても、チョコを受け取る・受け取らないの
押し問答を彼女達とするのは、非常に体力を消耗する。
第一、彼女達には理屈が通じない。
「女って」と、メフィストのお家芸を思わず口にしてしまいそうだ。
「てんちょー、配達三件終わりましたー」
一時半。
自転車を漕いで、頬を赤くしたバイトが帰ってきた。
「お疲れ様。店、大分空いて来たから」
「あー、良かったです」
暑い暑い、とマフラーを取りながら店へ入ってきたバイトは、
せつらにはい、と紙袋を差し出した。
せつらが怪訝な顔をすると、バイトはにっこりと笑った。
「私からのは受け取ってくれるでしょう?」
中を見ると、可愛らしい包装をされた箱が入っている。
チョコレートらしい。
「うん。ありがとう」
茫洋とせつらが礼を述べると、バイトは更に頬を赤くして、いえいえ、と
軽くお辞儀をした。
こういうことがあるから、秋せんべい店のバイトは
どんな嫌がらせを受けようとも、三ヶ月は耐えることが出来るのだ。
…………報われなければ、こんな労働条件の厳しいバイトなど
他に無いだろう。
「じゃぁ、逃げるから」
店番よろしく、とせつらはコートのポケットに両手をつっこんで
立ち上がった。
あ、とバイトが後姿へ声を掛ける。
「チョコレート、まだ伊勢丹で売ってましたよ」
「……誰にあげるんだよ、僕が」
顔パスで受付を通り、院長室まで行くと、案の定、部屋の主は
居なかった。それを見越して来る時に本屋に立ち寄ってせつらは
雑誌を数冊調達してきていた。
「ふーん」
黒檀のデスクの横に置かれたダンボール三箱。
それを見て、せつらは呟いた。
とりあえず雑誌はテーブルに投げ出して、ダンボールの中を覗いてみる。
カラフルな包み紙のゴミ、ではなく、大量のチョコレート。
霞を食って生きているような院長にも、同じ様にバレンタインは来るらしい。
一番上にあったゴディバの生チョコを手にとって、
せつらはソファーに座った。
「そう言えば、去年も患者に配ったとか言ってたなぁ……」
チョコレートのことらしい。
一つ摘んで、口に運ぶ。
そして持ち込んだ雑誌のページを捲り始めた。
「今年もここは駆け込み寺かね?」
日が暮れてから院長室に戻ってきたメフィストは、
せつらを見て、開口一番に訊ねた。
それに対して、せつらは、ううだか、ああだか分からない不明瞭な
返答を返す。
「食事は……未だの様だが?」
言外に何処かに食べに行くか、と訊ねている。
ソファーにごろりと寝そべったせつらは、器用に躯を反転させる。
「ヤだよ。バレンタインなんて何処もカップルだらけさ」
それに、と目の前に出来た残骸を見て、
「チョコで気持ち悪い」
せつらの目の前には軽く10箱は空けられたチョコの包みが
山積みになっていた。
「……その嫉妬の仕方はとても可愛いとは思うのだが、
食べなくとも、切り刻むなり捨てるなり、
別の方法は幾らでもあっただろう……」
「いいの」
そう言って、せつらはまた雑誌へと視線を戻す。
しかし、口直しにお茶でも淹れよう、とメフィストがそのままポットの方へと
行こうとすると、はし、とケープを掴んだ。
「待て」
「何かね?」
せつらは殊更ゆっくりとソファーから立ち上がると、
メフィストの目の前に立った。
背はほとんど変わらないが、若干メフィストの方が高いので、
せつらもその分、少しだけ見上げる形になる。
「チョコレート」
せつらは一言そう言って、瞳を閉じる。
メフィストは一瞬なんのことか、とまじまじとせつらの顔を見つめ、
それから口を開いた。
「……いただこう」
メフィストの繊手がせつらの肩に置かれ
そのまま唇が寄せられる。
「ん……」
せつらがメフィストの背に腕を回し更に深い口付けを強請る。
それに応えるかの様に、メフィストはきつくせつらを抱き寄せた。
傍で見る者がいれば赤面して逃げ出しそうな濃厚な口付け。
甘い匂いが際立つ青白い光の中で。
「15人分のチョコレート。
もう、要らないよね、ダンボールの中のあれ」
軽く乱れた呼吸を隠しもせず、せつらは首を傾げた。
さらりと前髪が揺れる。
「要らないな」
低い囁き。
視線が絡まる。
香るのはカカオの香りだけではない。
もっと、腹の底を刺激する様な……――
「でも、僕からは欲しいでしょう?」
せつらの指がすっと、メフィストの肩から胸へと滑る。
「からは、かね?」
その手を取って口付け、メフィストは訊ねた。
「いや……」
せつらの瞳に淫靡な光が灯る。
「僕が」
再び唇が近付く。
「僕が欲しいでしょう?」
メフィストは答える代わりに軽くせつらに口付けてから、
彼の耳に唇を寄せた。
「 」
――暗転。
……あ……甘い?最後のは反転しても出てきませんよ。タイトルを入れてください。
いずみが最初に考えた言葉は、「私からも熱いチョコレートを差し上げよう」という
なんとも卑猥なものでした。あとは、「チョコレートの様に溶かしてしまってもいいかね?」
メフィ信者としての理性が止めました。ハッピーバレンタインv いずみ遊 2003年2月14日
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