雨の日はいつも *いずみ遊*










 雲が分厚い緞帳を幾重にも重ね、夕焼け近い空を覆う。
雷鳴が聞こえるか否かのところで、
激しい雨が降り始めた。
せつらはせんべいを並べたケースの上で頬杖をつきながら、
アスファルトに撥ねる雨粒を眺めていた。

「ああー、もう、ぎりぎりで間に合いませんでした!」

 アルバイトの女の子が、店先に走りこんできて、
服に付いた雫を払う。
なんで、こう、雨って言うのは私のことを待ってくれないのかしら、
という可愛らしい呟きは、美しい店長には届かない。

「出掛けるよ」

「ええ?! この雨の中を?」

「後は頼んだ」

 それだけ言うと、店長!という悲痛な叫びを無視して、
せつらは夕立の中へと消えた。








「院長はあいにく、往診中です」

 看護師の言葉は、せつらの口元を緩ませた。
「美」という点では勝るとも劣らないこの病院の院長、
ドクター・メフィストをも魅了する男。
その彼に微笑まれ、一瞬、意識を手放そうとした看護師は
頭を振って、何とか言葉を続けた。
流石は、メフィスト病院の看護師だ。

「ですが、院長室でお待ちいただいてもよいと
院長から言付けを預かっております」

 いつもは、それで終わりのはずだった。
よもや、せつらから再び声を掛けられるとは思っていなかった看護師は、
ここまでの努力空しく、次の言葉で意識を失った。

「一体、メフィストは、何処へ行ってるのか教えてくれないかな」

 自動ドアの向こうは、まだ雨の世界だった。










 赤い薔薇を百本、と言われた時、動くはずの無い仮面の口が
ぴくりと動いたようだった。

「おい」

 AWSフラワーと屋根に書かれた花屋には、仮面を被った店主と、
彼の従兄弟である秋せつらが立っていた。
こんなどしゃぶりの雨でなければ、通行人は彼等を見て、
その場に倒れこんだであろう。
美とは時として、凶器である。

「なにか」

「今、薔薇を百本と言わなかったか?」

「言ったよ。おまえは耳にも仮面がついてるのか?」

 せつらの辛辣だが茫洋とした皮肉に、ふゆはるは赤い薔薇を一抱え、
作業机の上に置いた。

「薔薇せんべいでも作る気か?」

「気持ちの悪いことを言うな」

「なら……」

「花を買ったら、あげるか観賞用かどっちかだ。普通」

 再び、一抱えの薔薇を机に広げたふゆはるは、従兄弟を見て、
先を促した。
ふゆはるに積極的に薔薇の本数を数える様子もないのは、
従兄弟の言う百本というのが、「あるの全部」という意味だと
正確に受け取っているからだろう。

「難しいな。あげるといえばあげるし、観賞用といえば観賞用だ」

 ラッピングの用紙を取りながら、左手でバラを括る作業を
せつらはうっとりと見つめていた、ように見えた。

「薔薇のベッドの上に横たわるあいつは奇麗だろうな」

「いっ」

 棘に指を刺されたふゆはるは、従兄弟を見上げた。
従兄弟はまだうっとりとふゆはるの手元にある薔薇を見つめていた。

「なにを」

「お仕置きだよ」

 何の、とそれ以上の言葉を重ねるのは、
いかに秋せつらの従兄弟であろうと出来ぬ話であった。











 いつになく、素早く出来た薔薇の花束を抱え、
せつらが店を出た時、雲は緞帳を上げ、夕日が華やかに登場していた。











「実際のところ、どうなんだよ」

 強烈な薔薇の香りが充満する中、
眠りに落ちかけていたメフィストは薄く瞳を開けた。
薔薇の棘によるいくつもの傷は、もはや過去のもの。
院長先生の肌は、常と変わることなく一点の過ちもない。

「何がかね」

「雨の日に、いつも何処かへ消える理由」

 ベッドの脇に散乱した薔薇を一本取ると、
せつらはその茎を、見えない糸で切った。
或いはそれは、自分の恋人の肌に触れた罰なのかもしれない。
百数本の薔薇のベッドの上で、四肢を晒したメフィストは、
それはそれは妖艶で甘く、美味しかったが、
それだけで全てをディレートしてしまおうという寛大な心は、
残念ながらせつらにはなかった。

「医者には患者に関することを一切を話さない守秘義務がある」

「お相手は、患者か」

「せつら」

「男? それとも女?」

「君は――」

 ぴったりと重なった視線。
そして、溜息。

「私が、患者と浮気しているとでも?」

「いや、違うね」

 もっと性質が悪い。
せつらは、ゆったりとメフィストに覆い被さりながら言った。

「おまえが浮気してるのは、『雨の日に発症する病気』」

 メフィストは降参、と肩を竦めた。










 さらにもっと性質が悪いことに、
おまえは、浮気ではなく「本気」だ。
そこまでいじわるを言うのをやめる代わりに、
せつらは再び、目の前に置かれた神の果実にかじりついた。











私の我侭で、2周年企画と一緒にさせてもらいました。
仲里さんからのリクエストで、「黒白、浮気」。
遅くなって本当に申し訳ないです。
いずみ遊 2005年7月25日

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