何も考える必要など無いのだ、せつら、と耳元で催眠術のように囁かれる。
繰り返し、繰り返し、熱い楔を打ち込まれ、胸の辺りが苦しくなった。
ひんやりと冷たくなった背中が、大きく擦れる。

「……それで?」

 問いかけには、暫く答えてはくれなさそうだった。













 interval *いずみ遊*














 電話の音で目覚めたのは、8時を過ぎた頃だった。
辺りを見渡すとともに、糸を巡らせた後で、
ここがメフィスト病院の病室であることに気が付いた。
うるさく鳴り続ける電話に手を伸ばしながら、
”二度と診察はせぬぞ”という昨日の警告を何故か思い出した。

「何だ、朝っぱらから?」

「TVをつけろ」

 メフィストの声が、寝ぼけた頭に冷水を掛けた。
画面の向こうは――地獄だった。
昨夜、自分を抱いて行った男の顔がちらついた。
人生を賭けてもいい。
これは、幻十の仕業だ。


















 真弓を抱いた、と哂いながら幻十が言った。
もうすぐ今日が昨日になるような時間だった。
長方形の窓枠に収まった彼は、月の光を背に、影となっている。
メフィスト病院の警護を信じて眠った自分もどうかとも思ったが、
幻十に戦意が無いことが分かって、妖糸を引っ込めた。

「ヌーレンブルクの娘を、縦に裂いたようだな」

「おまえと同じ物でやられたんだ、本望だろう」

 どうだろう。
薬を口移しにくれた、紫のドレスの少女を思う。

「あの魔法師のばあさんが、今に治すさ。
人形は何度でも作れる」

 あの少女が聞いたら、悲鳴を上げそうな残酷なことを言って、
幻十はまた薄く哂ったようだった。

「ぼくはこの街が欲しいよ、せつら」

 まるで、玩具をねだる子供のように。
ああ、どうぞ、とあげてしまいたくなる真摯さで。

「もう、土の中に戻りたくはない」

「……それで?」

 今はぐっすりと眠ってしまいたかった。
大体、おまえが目覚めてから、ぼくは寝不足なんだ。
影がゆっくりとこちらを向き、病室に舞い降りた。

「せつら。おまえを抱きに来た」

 そんなことだろうとは、思ったけれど。











 抵抗らしい抵抗を見せないでいると、
幻十は了承ととったのか、殊更ゆっくり歩いて、ベッドの側へとやって来た。
几帳面にも靴を脱いで、ベッドに上がる。
二人の男が乗っていても、ベッドは軋むことはなかった。

「何故、二人だかを考えたことはあったか?」

 話さないままでいると、幻十が沈黙に耐えかねたように口を開いた。
その間にも、ぼくの衣服を一枚ずつ剥がしながら。

「<魔界都市>に訊いてくれ。
ぼくはいい迷惑だ」

 幻十は意味を問うように首をかしげた。

「ぼくの夢は、せんべい屋を平穏に続けていくことだ。
ささやかな夢でさえ、<魔界都市>は赦してはくれない」

 押し殺したように幻十は笑った。
体が辛そうなのは、<封印>である真弓を抱いたからだろう。
それでも、ここまで回復しているのには驚いた。
敵の大きさを感じるたびに、右の小指が疼く。

「<封印>を抱いた人間が二人。
その二人が交わったらどうなる?」

 幻十の声が、少し上ずってきた。
話だってさっきから支離滅裂だ。
この男の狂気は、拡大しつつある。
けれど、逃げる気は起こらなかった。

「気休めにしか過ぎないかもしれないよ」

「そうでないにしても、だ」










 本来、排泄のための器官に、男のものを受け入れるという行為を
最初に考えたのは一体誰だったのだろうか。
幻十の重さを感じながら、とりとめも無い考えが頭の中を渦巻いていた。
苦しさを感じている自分と、それを冷静に上から見下ろしている自分がいて、
どちらも互いに干渉はしない、不思議な感覚だった。

 激しく突き上げられ、枕が床に落ちる。
月明かりの中で動く幻十の体はまるで、その動きしかしない生き物の
ようだった。

「なにも……考えるなっ」

 幻十はその言葉を繰り返した。
顰められた眉は、快楽ではなく、苦痛を示しているのだろう。
組み敷かれた自分ではなく、挿入している方が、さらに痛みを感じることも
あるのだろう。

「……それで?」

 それで、ぼくはどうすればいい?

「考えるな……」

 奥まで突かれ、喉からくぐもった声が出た。
それでも容赦なく、幻十は腰を押し付けてくる。
初めての行為でもあるまいに。

「……げんと……」

「よぶなっ」

 また、深く幻十が入り込んでくる。
ぽたりと、雫が落ちてきた。

「……」

 それが、汗なのか、涙なのか、ぼくには分からないし、
訊ねようとも思わなかった。
















 幻十が、漸くぼくの中で果てたのは、朝日が昇ろうとしていた頃だった。
睡眠がぼくの意識を吸い取っていく間に、幻十は窓から出て行った。

「さよなら、せつら」

 その一言を、残して。



















「死ぬなよ」

 電話の向こうで、白い医師が呟いた。
昨夜のことを考えていたぼくは、咄嗟に返す。

「TVを見ながらぬかすな」

 動揺は伝わってはこなかった。

 受話器を置きながら、窓の外を見る。
昨夜、幼馴染が座っていたところに、可愛らしい人形が座っていた。

「どうか、ご無事で……」

 どこか、機械のようにぎこちなく、彼女は喋った。
まだ、完全な形をとどめるまでにしか至っていないのだろう。
ヌーレンブルクとはいえ、妖糸に真っ二つにされた人形を
元に戻すのは容易ではないらしい。

”人形は何度でも作れる”

 幻十の言葉が過ぎった。

 今、人々の憎しみを一身に浴び、狂気の渦の中にいる幻十は、
ただ生きたいと願っているだけなのかもしれない。
ぼくや幻十のささやな願いを叶えてもくれない街の
覇者になることで、その願いを叶えようと必死に生きているのだ。

「帰ってきたら、君のところで紅茶でも飲みたいな」

 少女が微笑むのを視界の隅に捉えて、外へ出た。



















 死ぬなと願われるぼくが、きみの生を願ったとしたら、
この街は、どんな審判を下すのだろう……――
踏み出した先は、変わり映えのしない夏が広がっていて、
その答えだけは、数時間後に用意されていた。


















天野秋さんによるリクエストです。ありがとうございました。
『魔王伝』の魔性編七章の前から、七章の前半までの話を勝手に考えてみました。
                                         いずみ遊 2005年1月11日





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