ソメイヨシノ *いずみ遊*
メフィスト病院産婦人科の山神医師は困惑していた。
もちろん、新宿一と謳われるメフィスト病院の医師である、
その困惑は目の前の男には伝わらないように
表面上は口元に優しげな笑みを浮かべたに留まっている。
「つまり、片西さんは、相手の方との間にお子さんが
欲しいということですよね、その……性交渉によって」
「はい。養子や他人から卵子を貰うのではなく、
純粋に僕たちの子供が欲しいんです」
きっぱりと言い切った片西という男は、薬指に光る指輪に
目を落とした。
「分かりました。
医学的観点からどうという以前に、倫理的なお話となりますので
私一人では即答できかねます。
申し訳ございませんが、一週間後にもう一度
お越しいただいてもよろしいでしょうか」
山神医師の言葉に片西は素直に頷いた。
或る程度の予想はしてきていたのだろう。
看護師に見送られて片西が診療室を出たとき、
山神医師は深い溜息をついた。
これは、院長に相談するしかなさそうね、と。
「君は……」
それは有史以前に作られたのではないですかと尋ねたくなるような
重々しい本から顔を上げたのは、
あなたは有史以来の全ての美をもとに作られたのではないですかと
尋ねたくなるような美しい男だった。
「一体どこをどうほっつき歩いてきたら、そんな立派な怪我ができるのだね」
さてね、と面白くなさそうに答えた黒衣の青年は、
肩から突き出ていた枝を引き抜いて床へ落とした。
後を追うように、はらりと舞い落ちる薄いピンクの花びら。
「早く治せ、この藪」
いつもは霞の美しさにぼやけてしまう輪郭も、
今日は流れ出る血のためか、ぞくりとするような艶に形どられていた。
しかし、黒衣の青年とは対照的に真っ白なケープに身を包んだ男は
全く動じず、首を横に振った。
「残念ながら、今日は先約がある」
先ほどまで本を読んでいたのを棚に上げるような言い訳である。
しかし、それがこの男から発せられたものなら、
たとえこの国の主でさえ従わなければならない。
魔界医師――ドクター・メフィストの発言に異を唱えられるのは
ただ一人……
「だから何だ」
秋せつら、この黒衣の青年だけだ。
すっと、動きは最小限に、怪我など感じさせずに
せつらはメフィストの顎を掴んだ。
「そんなことを言う口は――……」
塞ぐに限る。
ふわりと絹よりも滑らかな金色の髪が揺れた。
青い目を縁取る長い睫が、二度伏せて、
やわらかそうな頬に影を落とした。
「そうですか、残念でしたわ、片西さま」
高田馬場の、怪しげな町並みの中で二つの影が寄り添っていた。
一人は、先ほどメフィスト病院の医師に真剣な面持ちで向き合っていた
片西という男。
もう一人は、……人間ではなく、人形の娘であった。
「いや、まだ駄目と決まったわけじゃない。
一週間後まで希望は捨てられない」
「そうですけれど……」
白いエプロンのレースを弄びながら、娘は次の句を言うか言うまいか
戸惑って、その機械仕掛けの胸の中に永遠に仕舞いこんだ。
片西はそんな小さな迷いを悟って、無理に笑みを作った。
「君がそんなに落ち込むことはないんだよ。
これは僕たちの問題なんだから。
君がメフィスト病院に頼んでくれたおかげで
優秀な先生と話ができたんだ。
それだけでも十分感謝してるよ、ありがとう」
「いいえ、私はただ……」
メフィスト先生にお話してくださるよう、秋さんにお伝えしただけ。
そこに不純な動機が、ほんの一握りでもなかったかと
問い詰められれば、頬が染まってしまうような感覚に陥る。
「駄目でもいいんだ。
駄目でもともとなんだから」
いいえ、片西さま。
遠ざかっていく背中に人形の娘は呟いていた。
人間は欲深く、少しでも望みがあれば望んでしまう。
あなたもまた。
山神医師は、病院から自宅へ戻り、医師から一人の母親へと戻った。
わんぱく盛りのつぶらな4つの目が、今や遅しと
ご飯がでてくるのを待っていた。
妊娠を知ったのは、メフィスト病院への採用が決定した数週間後だった。
何故こんな大事なときに、と産むのを迷ったこともあった。
しかし、今は、あの時取り返しのつかないことをしなくてよかったという
のが100%の正直な気持ちだ。
食事を作る手を、しばし休め、二日前に来た患者のことを考える。
あの男も、この幸せが欲しいと言った。
子供を作ることは、何の罪深いことでもない。
しかし、生命の誕生に医師が手を貸すことは、果たして。
手が止まったことに気付いたパートナーがどうしたの?と
顔を覗き込んでくる。
ふと涙がこみ上げてきて、慌ててエプロンの裾を目じりに当てた。
「あなたが、男でよかったって、そう思ってたのよ」
なんだよそれー、と笑うパートナーと、
不思議そうに見つめる2人の子供と。
山神は、最大限の幸せを手にしていた。
まるで夏に降る雪のようだった。
「何故だ?!何故なんだ!!」
振りかざす武器の、なんとはかなく美しいことか。
せつらは身を守ることもせず、そこに立っていた。
頭上には桜の大木。
季節はずれにはらはらと薄い桃色の花びらを散らしている。
「答えろ!
何故神は、男と女を区切った?!
何故その二つを対とした?!」
手折られたソメイヨシノの枝がせつらの肩に食い込む。
鮮血が上がり、いくつかの花びらが真紅に染まり、
地面に不自然な赤を残した。
しかし、せつらは動じない。
常の茫洋とした雰囲気を今は欠片も感じさせない。
通りすがり、たまたまの邂逅だった。
秋せつらが、いきなり自分に襲い掛かってきた男が
片西という名で、メフィスト病院の外来患者だと知るのは、
数時間後のことである。
「男同士で子供を産んでは駄目だと誰が決めた。
倫理とは何だ?
ドブネズミのDNAを好き勝手弄ってるくせに、
どうしてオレの遺伝子は駄目なんだ?!」
――山神先生。
僕がお付き合いしている方は男性です。
僕たちはとても愛し合っているのに、子供ができない。
あなたは優秀な医師で、不妊治療も試験管ベイビーも
お手の物だって聞いて。
それなら、男同士の性行為でも、子供を作ることはできますよね?
――片西さん。
メフィスト先生とも相談しました。
やはり、倫理的に問題があります。
男性は出産に際しての痛みに耐え切れません。
それは、私たちが受け継いできたDNAの中に、
子供を産むのが女、と刻み込まれているからです。
私たちの手で、生命を変えてしまうわけにはいかないのです。
残念ですが、諦めていただくほかありません。
「なぜなんだっ!!!!」
地面に座り込んだ片西の背に、はらはらと降り積もるソメイヨシノ。
「私に答えなど求めるな」
くるりと背を向けた黒いトレンチコートに、
泣き叫ぶ声が追いすがった。
見えぬ糸に両手を巻き取られ、
メフィストはやれやれと肩をすくめる代わりに眉をあげて見せた。
治療をしろと言ったはずの当人は、
白いケープの前を肌蹴させ、中から現れた滑らかな肌に
噛み付いていた。
「藪医者の不手際で私が肩に傷を負ったことは、
疑いようも無いだろう」
「私の君も僕などという男に被害妄想病でも
うつされたのではないかね」
いきなり自身をねっとりと口に含まれ、
語尾がやや震えた。
そんなメフィストの様子に満足したのか、
せつらは殊更見せ付けるように、口に含めたそれを
舐めて見せた。
血の匂いが濃さを増したようだった。
「おまえも大概、鈍いな。藪」
君に言われたくは無い、と続けようとしたその首に、
せつらは手を伸ばした。
容易く折れてしまいそうな細い首に力をいれると、
普段は感じられないこの医師の生きている鼓動を
指に感じる。
「何故男と女を作った、そう問われて、
私はこう思った。
それは、二人まで作って面倒になったからだと」
「せ……――」
首を絞められたまま、反対の手で体の中に指をねじ込まれ、
メフィストは背中をそらした。
ぽたりとせつらの肩から腕へ流れた血が、メフィストのわき腹へと落ちる。
「何ならこう続けてもよかった。
男を二人先に作れば、おまえも幸せだったのか」
「あ……」
痛みと苦しみの間に、間違いようの無い快楽を与えられ、
身を捩ったメフィストの背で漆黒の髪が乱れていた。
それを見たせつらの目から、冷酷な色がゆっくりと溶けていった。
ようやく首から手を離したせつらは、困ったなと言う風に笑った。
「こんなご馳走、僕が食べていいの?」
肩が痛い、と言って、せつらは無理やりメフィストを自分の上へ跨らせた。
ベッドの脇の窓からは煌々と月の明かりが入り込み、
メフィストの全身を眺めることができた。
にやりと嫌な笑みを浮かべるせつらを憎憎しげに睨んだ
メフィストの美しさ。
「君がどれほど悪趣味か忘れていたよ」
まだ皮肉を言う気力があるタフな医師を、
それでも最後には自分の下で美しく啼かせてしまうせつらは
その言葉を余裕で聞き流した。
「何で、断った?」
片西の依頼を。
メフィストは、せつらの目を見、そして床に落ちたソメイヨシノの枝へ
視線を移した。
「知っているかね?
ソメイヨシノは挿し木によって増やされている。
いわゆる、クローンだ。
だから、みな同じような時期に咲いて、散る」
「そういえば、お天気お姉さんがそんなこと言ってたな。
気温を足していって、何度以上になると咲きます、とか」
「自家交配では、実ができても、その後の発芽は無い」
発芽ができないのなら、子孫は残せない。
だから、その美しさを持って、人の手によって子孫を増やす。
一本の木から、数十本、数百本と増えていく。
「精子同士から、子供を作ることはできるだろう。
試験管の中で受精させ、どちらかの腹に人工子宮を作れば、
育てることもできる。
まぁ、それではあの男の言っていた
性行為による子供とはならないが、それにしたって当人たちの
子供となるだろう。他人のDNAは一切入らない。
産む際には帝王切開でもすればいい。
だが、その先はどうする?」
生まれた子供は無事に大きくなるかもしれない。
ならないかもしれない。
その子供が大人になるスピードは他人と同じかもしれない。
違うかもしれない。
大人になって、子供が産めるかもしれない。
産めないかもしれない。
「それは、人間がかかる病ではない。
精子同士から医師の手によって作られた
新たな生命のあり方なのだ。
人間ではない、そんな生命を、造り出していいのか?
そして、そんな生命を人間は受け入れられるのか?
私には分からぬ。だから、断った」
クローンというなら、あるいはまだメフィストはやったかもしれない。
しかし、卵と精子という、人間の一番の元までに
メスをいれ、形を弄ったその生命は、一体なんと呼べばいいのだろうか。
「他の医者がやるかもしれないよ」
せつらの意地悪な質問に、メフィストは目を伏せた。
「私はそんな世界にはいたくない」
疲れて眠ったせつらの横で、メフィストは起き上がった。
そして、せつらの肩に刺さってここまで運ばれてきたソメイヨシノの枝を
水差しに差し込んだ。
この枝からも、桜の大木が育つ。
りらさんリクエストありがとうございました。
遅くなってすみませんでした……。
題名からも分かるように4月にネタがふってきてまして……ごめんなさい。
2007年7月23日 いずみ遊
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