紫色のサテンのドレスを着た少女が、
大きな荷物を抱えて通りを歩いていた。
その頭上を大鴉が旋回する。
”Never more”
軽やかに歩いていた少女は交差点で赤い明かりに
その足取りを阻まれた。

「あ……」

 向こう側を右から左へと横断していく黒衣の青年。
”Never more”
一歩踏み出そうとした少女の目の前を、速度オーバーの車が
走り抜けて行った。












 Never more *いずみ遊*












 靖国通りを進み、旧区役所通りへと入った黒衣の青年は、
<新宿>一の病院の前でしばらく躊躇った後、その門をくぐった。
――メフィスト病院。







「どうしたのかね?珍しく思いつめているようだが」

 何時ものように院長室に通された青年に向けて、
白いケープを纏った美の化身がおもしろげに訊ねた。
ドクター・メフィスト。
彼に見つめられれば、無機物さえも動きだすのではないか。
対する青年も、見るものが何処かに迷い込みそうな美しさで
そこに佇んでいた。
秋せつら。

「珍しくは余計だ、藪医者」

 仮にここに二人を一方的に知っている第三者がいれば
失神しかねない言葉を吐いて、せつらは断りもせずソファに
腰掛けた。

「これは、失礼。
何か用があって、ここへ?」

 ペンを置き、立ち上がりながらメフィストはせつらを見た。
項垂れ、首筋がコートの衿から覗いている。
疲れている、とは見えない。
思いつめている、が一番適当な言葉にメフィストには思えた。

「私に用があったのではないのかね?」

 別に忙しい訳ではなかったが、医者という職業柄
いつ忙しくなるかはメフィストにも分からない。
更に問うと、微かにせつらの肩が震えた。

「……分からない」

「分からない?」

 せつらは頷く。
さらりと黒い髪が、耳元で揺れる。
消えてしまいそうなほど儚い印象が漂う。
茫洋としたいつもの雰囲気はそこには微塵もなかった。

「では……、私に何かできるかね?」

 メフィストが言うと、はっとせつらは顔を上げた。
けれど、メフィストと目が合うと再び顔を下に向ける。
絨毯の毛の数を数えているわけではあるまいに。

「何かしてくれるの?」

 ぼそぼそと発せられた言葉にメフィストは肯首した。

「ああ、私にできることならば」

 流石に様子があまりにおかしい。
メフィストはカルテを書いていた手をとめ、
立ち上がった。

「……今日は何の日だ?」

 メフィストがせつらの前のソファに座るのを待っていたかのように
せつらが言う。
一瞬、何を問われているのか分からなかったのか、
メフィストはせつらの顔を凝視した後、静かに言った。

「世間ではクリスマス、と言っている」

「クリスマス……そうだよね……」

「どうしたのかね?本業が上手くいっていないのか?」

 本業、すなわちせんべい屋。
この青年が一喜一憂することなど、非常に限られている。
しかし、せつらは首をゆるゆると横に振った。

「せつら?」

「メフィスト……お願いがあるんだけど」

「何かね?」

”Never more”












 芳しい華の香りは、部屋を満たせば凶悪な媚薬となり
 繋ぎ止めた手は、戯れの抵抗をやめる
 蒼が二人を世界から切り取り
 月は美しい光景から目を背けるように雲に隠れた











「寂しいと誰彼構わず抱きたくなるのかね?」

 そっと、吐息混じりに。
メフィストはせつらの額に浮かぶ汗を人差し指で拭った。

「誰でも良かったら……こんなっ……」

 ぐっと腰を押し付けて、動作を止める。
忙しない息を、宥めるかのように。

「男の躯など、抱いてもつまらないだろうに」

「問題はそこじゃない……」

 組み敷いた男に覆い被さりながら、せつらは瞳を閉じた。
とくん、とくん、と規則正しい心臓音。
ドクター・メフィストという名の男にも、血液を送る器官があるのか。

「お前が、男とか女とかいう性別を超えて美しいと言ったって、
お前の躯は男で……だから……」

「……厄介な」

「悪いか」

「悪くはあるまい。この街に正しいものなどありはせん」

 メフィストは今まで触れた事の無いような触れ方で、
――まるで恋人のように――優しくせつらの背を撫ぜた。
汗に体温を奪われた背中は、メフィストの手の暖かさに震えた。

「私が抱ければ満足かね?」

 せつらはメフィストの首筋から顔を上げ、
じっとその漆黒の瞳を見つめた。
ひたむきに、何かを覗き込もうとしているような眼差しで。

「……そう、思っていた」

 ポツリと漏らして、せつらは躯を離した。
ベッド脇に置いた衣服に手を伸ばす。

「何かの間違いだと思った。
実際に試してみればそれが分かると思っていた。
けど……、駄目だ。足りない」

「足りない?」

「クリスマスプレゼントは一つじゃ足りない」

「一つも、中途半端にしかやってはいないがね」

 途端に白いケープがメフィストの顔を直撃する。

「これは僕の意地だ!
おい、メフィスト。
おまえ、クリスマスプレゼントに抱かせてくれなんて言われて
ハイ、いいですよ、なんて金輪際言うなよ!」

 服を着終えたせつらはベッドから立ち上がり、
メフィストを見下ろした。
見下ろされたメフィストは肩を竦めると、
投げつけられたケープを床に落とした。
広がる白い波。

「なら、君は何故抱かせてくれなどと言ったのかね?」

「おまえを抱きたいという欲求が間違いだと思ったから」

「それであんなに思いつめていたと?」

「思いつめるだろう。おまえは男だ。
僕は、ゲイでもバイセクシュアルでもない」

「けれど、私を抱ける」

「……何が言いたい?」

 せつらは両手をベッドについて、中腰でメフィストを睨んだ。
メフィストはひょいとせつらの顎を取ると、その唇に口付けた。
驚いて後ろに躯を戻そうとするせつらの肩に腕を回し、
深く深く交じり合う。

「何故分からないのかね?」

 数センチの距離で、唇が動く。

「何が」

 目が、そこから離れない。

「クリスマスプレゼントが一つでは足りない。
では、もう一つもらえるとしたら、何が欲しいのかね?」

 とくん。

「分かっているはずだ。何故、避ける?」

 とくん。








 穏やかに。
 けれど、確実に。
 まるでミルクを温めるように。
 張った膜は、真実を覆い隠すから。
















「君が欲しいもう一つのクリスマスプレゼントは私の心。
……君が私を好きなことなど、疑う余地はないではないか」

















 聖夜は、囁く。
”Never more”
”またとない”
それは二度目を否定する言葉ではない。
一度目を完全に肯定する言葉なのだ。











 書きたかったことをそのまま書いてみました。
Never moreの解釈はいずみの勝手な想像です。
では。素敵なクリスマスを!
いずみ遊 2003年12月25日





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