異国からの手紙 *いずみ遊* *お題配布サイトFar side of the moonさんより 『海に沈む10のお題』を使わせていただいています 赤い屋根と白い壁を持ち、大きな黒い柵と木々が囲むその洋館は地域の女の子たちの憧れの的だった。 中が見られるのは門からだけだったが、幼稚園に行き始める頃には皆、その前を通るたびに "私がこの家の子だったら" と夢想してうっとりとするのだった。 洋館の出窓には季節ごとの花が活けられていた。 いつしか自然とその出窓は通行人に季節の変わり目を知らせる役目を果たすようになっていた。 「本日臨時休業」と書かれた店先に人が殺到している店があった。 片手にガイドック、近くに制服姿で旗を持った女性、となればバスツアーの観光客たちだ。 彼らががやがやとガイドに文句を言ったり、貼り出された紙と何故かツーショットを取っている店の名は 「秋せんべい店」と言う。 自営業のため急な休みはあるということは事前にツアー会社も断りを入れているが、 観光客たちの落胆は激しく、ガイドはショルダーバッグの護衛スプレーのありかをそっと確かめながら にっこりと微笑み反対の手でツアーの旗をひらひらと振った。 ツアーの予定にはありませんが今日は特別に旧区役所跡へお連れ致します、のお連れ、あたりで 観光客たちの拍手喝采に会い、ガイドはスプレー缶から手を離して恭しくお礼をしたのだった。 臨時休業中の店主は観光客たちが向かう旧区役所跡――現メフィスト病院にいた。 たいていの病院と同じく、白を基調とした待合室や診療室とは異なり、 院長室は深い木の色をベースとした落ち着いた空間となっている。 見るからに高級そうな革張りのソファーに座り、院長自らが淹れた玉露を啜っているのが 秋せんべい店の店主、秋せつらだ。 部屋の主から急な呼び出しを受け、いつもなら電話にすら出ないものを どういう風の吹き回しか、店を臨時休業してここにいる。 部屋の主、当病院院長であるドクター・メフィストはせつらの対面には座さず、 対面のソファーとは垂直に置かれた大デスクのアームチェアに腰かけ せつらの横顔をしばし見つめた後、本題を切り出した。 AWSフラワーの店先で切り花の水替えをしていた店主が顔を上げると従兄弟が立っていた。 花鳥風月一切に興味がなさそうな、それでいて世界中の美を集めて絞った上澄みのような姿をして 黒いコートの裾をはためかせている。 店主である秋ふゆはるは手早くバケツの水を入れ替えて立ち上がり、 従兄弟、つまり秋せつらに花を見せるように手を広げた。 従兄弟殿が来るのは大概薮医者絡みだな、と本人に指摘したら眉を顰めそうなことを考えながら。 「全部で289枚」 店の奥の店主の居住スペースに案内されたせつらは持参した紙や写真をふるはるの前に広げた。 その数字がそれらの枚数であることは知れたが、量の多さにふゆはるは首を傾げた。 「何の花か知りたい」 言われてふるはるが一番手前の写真を見ると、そこには洋館と思しき出窓に飾られた チューリップが映っている。 次の紙はユリのスケッチのようだ。 「これ、全部?」 「文句なら薮に言って」 「会いたくないからお前に言っている」 「まぁね」 首肯したせつらは立ち上がり出て行こうとする。 「何か弱みでも?」 そもそも薮医者――メフィスト自身が訪ねてくればよいではないか、と写真をひらりと揺らす。 「僕への依頼だ」 返答が聞こえた頃には黒いコートは店外にあった。 ひとまずの仕事を従兄弟に任せたせつらは自宅とは逆の方へ足を進めた。 先週、日本列島を縦断した台風のおかげか、空気がひんやりと季節の変わりを告げている。 ヒヤシンス、薔薇、ガーベラ、チューリップ。 先ほどまで懐にあった写真や絵に撮られたり描かれていた花々だ。 それらはすべて、同じ洋館の出窓に飾られている。 せつらはその洋館をよく知っていた。 「もう、長くはない」 メフィストから告げられた時、せつらは甘い外国製のシガレットの匂いを思い出していた。
"伯爵"は明治期に仏国から日本に移住した画家の子孫だった。 伯爵でもなんでもないのだが、その日本人離れした彫りの深さや色素の薄い瞳、 <地震>後も残る立派な洋館に住んでいることから自然についたあだ名のようなものだ、と笑っていた。 "伯爵"はせつらを膝の上に乗せてロッキングチェアを揺らしながら色々な話を聞かせてくれた。 「昔、トレジャーハンターで荒稼ぎしていて」とか「FBIにいた時の話なんだけど」という 眉唾ものの前置きから始まる物語はどんな小説よりも魅力的で、気づくといつも窓が赤く染まっていた。 せつらも真似て作り話をしてみたことがあったが、たいてい途中で自分の話が分からなくなり その度に「君は嘘が下手だなぁ」と"伯爵"に笑われた。 それでいいんだ、とでも言うように大きな手で撫でられて、せつらは恥ずかしいやら嬉しいやらで "伯爵"の胸に額をぐりぐりと押し付けたものだった。 「僕はね」 シガレットの煙の行方を眺めながら"伯爵"がふと漏らしたことがあった。 「ここで待っているんだ。だから何処へも行けない」 せつらが次の言葉を促すように見つめると、"伯爵"はまだ長いシガレットを灰皿へ押し付け いつものようにおどけた調子でこう言った。 「とある王室に嫁いだ絶世の美女の話を聞かせてやらないとな」 せつらは白い洋館の前で足を止めた。 主がいない建物に人の気配はなく、屋根は赤というより茶色く沈み、 かつて季節の花が飾られていた出窓も色褪せたカーテンが閉められていた。 ランドセルを上下に揺らしながら、数名の小学生たちがせつらの脇を通り過ぎていく。 彼らにとってはこの洋館は、ただのおんぼろの大きな屋敷にしか過ぎなかった。 従兄弟からの連絡は翌日には来た。 写真や絵を季節ごとに並べてみたり、同じ花でグループ分けしたりしたものの 何かの規則があるわけではない、とのことだった。 趣味で撮られた写真や絵画なのだから、そのオーダーに意味があってはお手上げだ、 とメフィストも言っていた。 「意味なんてないのか」 電話を切ったせつらは店先へ出て、アルバイトに出掛けると声をかけた。 ついこないだも休んだじゃないですか、と言いかけたアルバイトは、 いつも茫洋とした雇い主がどこか悲しい色を帯びているように見えてぐっと堪えた。 「いってらっしゃい」 背中に受けた言葉に、せつらはこくりと頷いた。 真っ白な病室は、夕日を受けて赤く染まっていた。 コンコン、とノックをされて、ベッドに横たわった老人は傍らにいた医師を見上げた。 年老いてなお美人に出会うと胸が高まりますな、と咳き込みながら告げると 微笑みながら「それはよかった」と返してきたこの街一番の医師、ドクター・メフィストだ。 「どうぞ」 メフィストはノックの主に声を掛け、老人の背に腕を回したかと思うと、 ぬいぐるみでも座らせるかのように、老人を起き上がらせその背にクッションを当てた。 「これはこれは」 思わぬ怪力に驚いていると、メフィストとは反対側に人が立つ気配がした。 「お久しぶりです」 「なんと……!」 老人は声をかけてきた若者を見て、あんぐりと口を開けてしばらく固まった。 ベッドの両脇にドクター・メフィストと秋せつら。 常人であれば気絶しても仕方のない状況である。 「いやはや、大きくなったなぁ」 たっぷり1分は黙っていた老人は、しわしわの手をせつらのほうに伸ばした。 せつらはその手を取って力強く握り返した。 「この子はね、うちの庭に迷い込んだところ、あんまり可愛いから僕が拐した子でね」 老人――"伯爵"がにっこり笑うと、メフィストもせつらも微笑んだ。 興奮して浮かせていた背を倒れこむようにクッションへ沈ませ、"伯爵"は息を吐いた。 「神と天使がいっぺんに現れたようだ。ああ、素晴らしい日だ」 「では、あとはお二人で」 出て行こうとしたメフィストをせつらが目で制して留まらせた。 メフィストは物問い顔で見つめ返したが、ベッドの足元に移動し椅子に腰かけた。 せつらはその動きを目で追ってから、"伯爵"の方へ向き直り、持参した紫の花束を差し出した。 「"伯爵"にこれを、と」 「見舞いの花まで。気を遣わせてしまったねぇ」 "伯爵"は花を受け取り、見舞いの花というには葉が多く小さな花に目を細めた。 「"伯爵"の家の前で女性から。僕が"伯爵"は病院だと言ったら」 せつらが花を見つめながらぼそぼそと告げると、それはそれはと"伯爵"はさらに目を細め せつらの手を撫ぜた。 「シオンという花だ。花言葉は"忍耐"。日本では"遠方にある人を思う"とも」 メフィストの言葉に、"伯爵"は花からせつらへと視線を移した。 震える手を伸ばしせつらの肩をぽんぽん、と二度叩く。 「ああ、ありがとう。 君はやっぱり、嘘が下手だなぁ」 金木犀の香りが街に漂う頃、"伯爵"は息を引き取った。 『僕には時々、遠い海の向こうから送り主不明の贈り物が来るのさ』 それは"伯爵"がついた最後の法螺なのか、真実なのかはもはや分からない。 無縁仏としての供養が終わった後、メフィストは黒檀の大机に向かい筆を執った。 "異国への手紙"を書くために。
2017年9月18日 いずみ遊
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