「聞いてない」 「私もだ」 せつらは知らずに握っていた左手をようやく開いた。 そして、電話の向こうで、藪医者も同じ様にしたのかと思うと無性に笑いたくなった。 「結局、僕たちは弱虫だね」 「そうかな……君は聞いても構わぬよ」 「なんでだよ」 「私が主治医だからだ」 言ってろ、という言葉が妙に上ずったのは、ご愛嬌。 電話を切ってから、卓袱台の上に広がった紙を無造作に取り上げる。 捜し人:三橋玄。男。52歳。職業、会社員。 依頼人:三橋桔梗。女。23歳。職業、占い師。 依頼理由:父親である三橋玄の余命は5月1日15時32分当時、 12日と3時間5分であり、即刻捜し出さなければ その数字は増えることがないから…… 「私の父親は普通のサラリーマン。 母がなくなったあと、男手一つで私を育ててくれた。 私が占いで儲けていることなんて知らない。 なのに、あいつらは……龍臥組のやつらは、父を無理矢理連れ去った。 この私を、自分たちのものにしたいからって、関係のない父を……」 深夜に訪れたこの依頼人を、拒めなかったのは、 何か良くないことを察知する第六感の働きのせいだろうか。 せつらは、パジャマに羽織った上着の前を合わせて、一つ身震いした。 三橋桔梗。 その名前は、その世界では有名な名前だった。 「それで、父親を捜して、君はどうするの?」 「父親の代わりに私がやつらのところに行く。 それがやつらの目的なんだから、それでいいでしょ」 せつらは悪い夢の続きを見ているようだった。 彼女の占いは、正確には占いではない。 過去も未来も恋愛も、何も占わない。 彼女には見えるのだ。 そして、見えた『数字』を述べるだけ。 それが、その人の、『今現在の寿命』 「それで、いいのかなぁ……」 「父は連れ去られる直前に、一気に寿命が減った。 だから、5月13日までに父を捜さなければ父は死ぬ。 多分、やつらに殺されて……。 私はやつらに殺されることはない。 やつらは私のこの力を利用して金儲けしたいだけ。 だったら、私が父を助け出して代わりにこの身を あげたほうがいい」 もう冷めてしまった煎茶を一気に飲み干し、桔梗は立ち上がった。 せつらは、やつらという指示代名詞の有名なヤクザの悪行を 頭に浮かべつつ、靴を履く桔梗を眺めていた。 「あなたも知りたい?」 「へ?」 「訊きたい?自分の『数字』」 ――依頼人でなければ、桔梗は今頃、人体標本も真っ青なくらいの 滑らかな体内を見せて、この世から消え去っていたことだろう。 桜が目に眩しい青を見せ付けて、さわさわと揺れている。 爽やかな風も、輪郭のくっきりした陰も、夏の訪れを予感させるものだった。 その中を、せつらが茫洋とした、しかし一目見たら忘れられぬ横顔で 歩いていた。 ”三橋……? その名前を気軽に言わないでくれ…… 恐ろしい” ”龍臥?、ああ、あそこの組は玄さんとこの娘を狙ってたよ。 生命保険会社と裏で繋がってるって話さ。 見ただけでそいつの死ぬ時がわかりゃ、保険会社は損するはずがねえもんなぁ” ”悪魔付きのことか……<新宿>にはいろんなやつがいるけど、 あいつほど呪われた能力を持ってるやつをオレは他にしらねえよ” 「今しょっぴけば、拉致監禁。雑魚が出てきて、はいおしまい、か……」 いつになく憂鬱な表情を浮かべて、せつらは南側の空を見上げた。 その方向に預けた依頼人は、今頃退院を要求していることだろう。 一情報屋にしかすぎないせつらには、桔梗の行動を制限する権利はない。 彼女が、軟禁だと訴えれば、せつらやメフィストが引くしかない。 ただ…… 「悪魔付きは、悪魔が欲しいわけじゃない」 叩けばいくらでも埃が出てくる連中を相手にするのは、 残念ながら、平和なせんべい屋の一番得意とすることであった。 「退院も何も、君は我が病院には入院してはいないのだがね」 看護師の連絡を受けて、メフィストが桔梗の部屋に入ると、 桔梗の口からは北の方角でせつらが想像したのと同じ言葉が出てきた。 「なら、私は帰る。 本当なら、あの情報屋を傷害罪で訴えたいところだけど、 私も言い過ぎたから」 ”あなたも知りたい? 訊きたい? 自分の『数字』 ……それとも、あなたの愛する人の?” その言葉を口にした瞬間、首筋に鋭い痛みを感じて女は気を失った。 それはあの美しい情報屋の仕業であることは間違いないが、 冷静になって考えてみると、腑に落ちない行動だった。 「何処へ帰る? そこは安全なところかね? 君が見た数字に拠れば、君の父上はあと10日は命の保障がある」 「まぁ、あの時点から変化していることもあるけどね」 「せ……秋くんがやつらの居場所を知る前には君は何処へも行けないはずだ」 「……せんせい」 桔梗の目が深く深く光を吸い込んだ。 「私、『知ってる』」 空気が凍る。 「私が行かなければならない。 頭が良くて奇麗な先生、 それでも冷静でいられる? 私は父を、あなたはあの人を……」 新宿第二位の情報屋が教えてくれたのは、龍臥組の長、 龍臥真一の息が掛かったハプニングバーの場所だった。 何でも、突然従業員が猛獣に変身したり、座っているソファーが美女になる といったことを売りにしているバーらしい。 真昼に見れば、他の店と同様、薄汚れた印象を受ける店だった。 「証拠発見」 防弾ガラスの厚い扉を開きながら、せつらはぽつりと呟いた。 右手で操る糸からは、一つの生体反応。 それが、捜し人だということに、彼は一点の疑いも持たない。 辺り探らせた糸を辿って、暗い店内を彼は音もなく歩いていた。 この手の店が、昼間にオープンしていることはまず無いが、 それにしてもあまりにも無用心だった。 「奇麗なお兄さん、人の店で何をしてるのかい」 突然、奇妙な声がせつらの背中に降りかかってきた。 せつらはゆっくりと後ろを向きながら、ありえない方向を見た。 「人捜しだよ」 天井のライトが勝手に点滅を繰り返した。 「人捜しだと言えば不法侵入は赦されるのか。 そりゃ、いいこと聞いたよ」 オレンジ色の明かりは、けたけたと笑ったようだった。 否、実際にそれは言葉を発し、せつらと会話していた。 「面白いものに変身してるね、龍臥。割ったらどうなるのかな」 言った側からせつらはそのライトを割った。 ぱりん、と切なげな音を立てて、光は何処かへ消えた。 「無駄さ。新宿一の人捜し屋も、新宿一の情報屋に巡り会えなきゃ こうなるのか」 今度は、壁に掛けられた絵が喋り始めた。 せつらはこれも簡単にばらばらに破壊した。 「残念だったな、秋せつら。 あの太った情報屋は、今頃若い男に囲まれて世界の珍味を 食べつくしてるところさ」 エアープランツ、紹興酒、テーブル、ラジオ。 店内にある様々なものが、男の声を発しては壊されていった。 「三橋はこの店にはいないぜ」 ふとせつらの耳元で声がした。 はらりと髪の毛が舞った。 「というか、この店自体が偽物だ」 次はシャツのボタン。 「情報屋を買収するくらいこっちは朝飯前なんでね」 またボタンが一つ。 「なぜ、三橋桔梗を最初から狙わなかった」 壁が大笑いを始める。 「ファザコンを手なずけるには、この方法が一番だ。 父親を生かすためと信じて働く娘……健気だねぇ」 きん、と空気が張り詰めるのを、龍臥は分からなかったらしい。 今や、四面の壁と一体化した彼に、感覚など分かるはずも無い。 「父親をどうした」 低く、ぞくり神経を逆なでする声。 しかし、その魔に取り込まれれば、一片の迷いもなく…… 「は?父親? そんな面倒なもの、生かしておくわけがないだろ」 その喉を、さらすのみ。 「”私”に会ってしまったな……」 粉塵を上げるコンクリートの山の前で、 壮絶に美しい悪魔が一羽、息絶えた人間を腕に抱え、立っていた。 「おとうさん!」 悲痛な叫びが聞こえ、悪魔はようやくこの世界に戻ってきたかのような 顔をして振り返った。 「どうしてここに……」 父親に縋る娘の背後に、白衣の男がいるのを、せつらの瞳が捉えた。 一瞬で事態を悟ったせつらは、一気に力が抜けるのを感じた。 メフィストは桔梗の肩を優しく引き、せつらから三橋玄を受け取った。 「……あと少し、助けるのが早ければ……」 項垂れたせつらを、桔梗は涙を拭いて睨んだ。 そして、右手を上げて…… ぱしん 「馬鹿なこと言わないで」 決して大きくは無いが、はっきりと通る声で、彼女は言った。 メフィストは救急車のベッドに三橋を横たえる動作を止めた。 「あんたが介入しようとしまいと、父は死んでいた。 そのくらい、私がどんなに馬鹿だって分かる。 しかも、あんたは、私に会った瞬間に一気に『数字』が減った。 あんたが命がけでこの仕事をやったことは、誰も見ていなくても私には分かるの」 言葉ではそういいながら、どうしようもできない感情に突き動かされて、桔梗は顔を覆った。 人の死など、数え切れないくらい見てきた二人の男は、何も言えず彼女を見ていた。 どれくらいの時間が経ったのか、実際はそれほど長くは無い時間が流れた後、 桔梗は小さな声で言った。 「もう大丈夫。 お金はきちんと振り込む、それであなたは関係無し」 それだけ言って、振り返り、救急車の方へ桔梗は歩き出した。 全ての言葉を拒絶する背中だった。 それなのに、せつらは桔梗の腕を咄嗟に掴んだ。 微かな抵抗をものともせず。 「何故、君は人に憎まれながらも、『数字』を言い続ける?」 行く先々で桔梗に関する罵詈雑言を聞かされた。 彼女がその時点での死の数字しか伝えられないことで 謂れの無い非難を浴びていたことは想像に難くない。 桔梗の言った通り、桔梗の介入の有無は人の死には何の関係もない。 けれど、宣告を受けた本人、周囲はそうは受け取ってはくれないだろう。 では、何故そこまでして、彼女は占いをやめないのか。 そこが、せつらの疑問だった。 「……最初は、役に立つと思った。 その時点からの努力や治療次第で、寿命はどんどん延びるから。 お金だってもらっていなかった。向こうが勝手に渡してきただけ。 ……でもいつからか、どこかですれ違って……。 でも、今回は、役に立った。 あなたは死ななかった。 先生は、直ぐに駆けつけてくれた」 力無く桔梗は笑った。 桔梗はメフィストに、せつらの数字があと少ししかないことを示唆した。 それを聞いたメフィストがせつらのもとへ駆けつけることを想定した上での ことだったのだろう。 しかし、メフィストは更に全てを見通していた。 せつらが死ぬことはないこと、桔梗が父の元へ行きたいという強い想いを持っていること。 結果的には同じ行動になっていたとしても、せつらにはそれが分かった。 桔梗は、メフィストとともに、救急車に乗り込んだ。 音もなく、車は発車する。 「医師として、言うべき言葉では無いかもしれないが……」 車中、それまで口を閉ざしていたメフィストは誰に言うともなく言った。 父親の冷たい体に頬を寄せていた桔梗は顔を上げた。 「人間は死ぬものだ。死ななければ人間ではない。 それが、いつ、どこで、どうやって起こるかなどということは、 生きている人間にとって些細なことなのかもしれぬ」 「……なぜ?」 「死だけは、自分の意志だけでできるからだ。 自分がいつ死ぬかを知っていても、 その瞬間、自分が喉に刃物をつきさせば、 それは嘘だったということになる……。 ――不謹慎な話をした。 すまない」 桔梗は首を横に振り、そして質問を重ねた。 「先生はあの黒い人の『数字』を知っても動じなかった。 それは、どうして? 自分が医師だから?」 メフィストは、何処か遠くを見ているように身動き一つせず、数度瞬きをした。 「私がもし、医師でなくとも、動じることはなかった」 赤信号なのか、車が減速した。 メフィストの髪がさらりと流れる。 「いつどこでどうやってあの男が死を迎えようと、あの男が最期に私を想う。 それだけで、私は満足だ。 死に際だとか、死んだ原因など、私は興味はない」 それは、強烈な愛の告白のようにも、 自分に言い聞かせている言葉のようにも聞こえた。 「いつかどこかであなたが死ぬ」 それから暫く、それだけをはっきりと言う占い師が、 新宿で話題を呼んだという。 リクエスト用にと思って書き始めたのに、どこをどう間違ったのでしょう……。 |