遠い御伽噺ではなくて *いずみ遊*
全て知っていたと言ったら、彼女は怒るだろうか。
僕は換気のために空けていた窓を閉め、代わりにストーブを点けた。
今夜の冷え込みはこの冬一だと天気予報士が言っていた。
冴え冴えと澄み渡る空に、黄色の月。
僕も彼女も平等に照らしている。
あの、美しい男をも。
「奇特な人」
女の声で顔を上げると、長い髪の毛に
軽くパーマをあてたジーンズ姿の女性が立っていた。
色素の薄い髪は、生来のものらしい。
僕は、メロンソーダを一口飲んでから、何がと訊ねた。
そう返したことに自分でも驚いていた。
普段、仕事以外は極力人と話すことなどしなかったから。
「この寒いのに、メロンソーダ?
大の大人が、舌を緑に染めるの?」
どうでもいいではないか。
無視しようかとも思ったが、テーブルに置かれた手に
嵌っていた金色の細い腕輪を見て気が変わった。
「これには色々と訳が……」
さりげなく、目の前の席を勧めると、
彼女は何の躊躇も見せず僕の前に腰を掛けた。
この街でこんな大胆な女が生きていけるのか、
大胆だからこそ、この街で生きていけるのか……。
「奇麗ね」
僕の瞳を覗きこみながら彼女は言った。
僕は、ええだかまぁだか曖昧な返答をした。
「昔……」
「昔?」
「ううん、何でもない」
彼女はそう言って、髪をかきあげた。
金の腕輪が揺れて、白い肌によく映える。
確かに、と僕は頷いた。
「<区外>から来たんですか?」
僕の問いに、彼女は返答しなかった。
僕がこの街で彼女に出会った最初の日はこんな感じだった。
それから、何度か出会い、会話を交わした。
彼女は自分のことは何も話さず、しかし、よく笑った。
何事もなく過ぎた数ヶ月は、多分、
執行猶予だったに違いない。
次第に、あの美しい男の影がちらつき始めた。
こんな、月が恐ろしく奇麗な夜、
あの男はそっと僕と彼女の後ろに立っていた。
「もう、会えないかもしれない」
薄暗い公園で、彼女はそう言った。
何故、と僕は問わなかった。
彼女が答えてくれるとは思わなかったし、
それに、僕は全部知っていたのだ。
「これ、あなたにあげる。
何だか、あなたが持っている方がいい気がするの」
彼女が言いながら差し出したのは、
あの金色の腕輪だった。
僕は幾分躊躇って、それを受け取った。
するりとコートのポケットに滑り込ませる。
右ポケットが、温かくなった、そんな感じがした。
「そろそろ行くね」
「うん」
「ありがとう」
「……うん」
それから、彼女には会っていない。
僕のコートには腕輪が入ったまま。
そこだけ、時間が止まってしまったように。
けれど、今日は、その時間を無理矢理に動かそうと
あの美しい男がやってくる。
こんな月が出ているから。
お茶でも淹れ様かと立ち上がったところに
チャイムが鳴った。
ほら、やって来た。
僕は殊更ゆっくりと玄関に近付き、
そして、ドアも開けずに問う。
「どなた?」
美しい男は、こう返す。
「人捜し屋です」
「随分と優しいのだな」
メフィスト病院の院長室で、人並み外れた美貌を持つ院長が
カルテを見ながら、そう言った。
「気紛れだよ、別に意味はない」
金色の腕輪を弄りながら、一仕事終えた人捜し屋は
ベッドにごろりと横になった。
「奇麗な緑色の目をしていた」
「彼がか?隔世遺伝かもしれぬな」
――我が国の皇女を捜してくれ
金の腕輪ごと、必ず、生きて見つけてくれ
そんな依頼を人捜し屋が受けたのは、秋が訪れた頃だった。
もう、誰も名前を忘れてしまったような、古い国の皇女が
婚姻の際に相手に渡す大切な腕輪を持って
この街へ逃げたのだと言う。
彼女は意に反した結婚をさせられるところだったのだ。
「気付いていなかったのかな」
皇女が出会った男は、緑色の目をしていた。
緑色の目は、彼女の国のある皇族一族の目の色。
遠い昔、その一族の一人が、国を離れたというのが
文献に残っていた。
「さて。本人に訊くしかあるまい」
「彼の方は気付いていたよ。
気付いていて、これを受け取ったんだ」
受け取れば、永遠の愛の約束をしたのと同じ、
この金色の腕輪を。
「……おまえ」
人捜し屋は、じっと腕輪を凝視した。
「何か?」
院長はカルテから目を離さず訊ねた。
「いつだ?」
「何がかね?」
人捜し屋はベッドから飛び起き、
院長の方へ腕輪を突きつけた。
「いつ、本物とすり替えた?」
本物と見紛う、精巧なフェイク。
依頼人は騙せるかもしれないが、
人捜し屋の目は騙せなかった。
「さて」
院長は、涼しい顔でカルテを捲った。
僕は、昔、祖父から聞いた話を思い出していた。
祖父は、本当は祖母以外の許婚がいたのだという。
でも、祖父は決められた結婚を厭い、国を出てしまった。
その国の話はよく聞いていた。
祖父は、本当は皇女が好きだったのだと僕は思う。
彼の口からは、皇女がいかに素晴らしいかということが
飽きることなく出てきたから。
僕は右ポケットを探る。
金色の腕輪。
まだ、温かい気がする。
僕は今度こそお茶を淹れようとコンロの火をつけた。
お茶の葉に手を伸ばし、そして、やめてコーヒーの缶に
手を伸ばした。
もう、流石にコーヒーを飲んでもいいだろうと思ったのだ。
――「暫くコーヒーはやめたまえ」
そう、世にも美しい院長から言い渡されたのは、
彼女と出逢った日だったのだから。
ふと、お風呂で、まったく第三者で普通の小説っぽく書いたらおもしろそう
と思い、こんな形に。
いずみ遊 2004年2月12日
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