鮮やかな赤と緑の対比が、街を埋め尽くし始める師走。 夜は白い吐息を吸収し、星はささやかなイルミネーションの一部となる。 この世の幸福を全て手にしたかのような恋人たちや、 今年のクリスマスプレゼントを必死に吟味する子ども達や、 慌しく、しかし嬉しそうにクリスマスの準備をする人々がいる。 街は常と変わらず、けれどみな、よくみれば一センチほど宙に浮いているのだ。 華やかな街のにおいを深く吸い込んで、せつらはふと足を止めた。 微かにとてもよく知っている香りが紛れ込んできた。 振り返る。 ――雑踏の中に、ちらりと白いケープが翻った気がした。 「なんで、おまえはそう突然いなくなるんだ?」 当日に知らされたドイツへの外遊。 電話を受け取った時には、既に恋人は飛行機に乗り込む寸前だった。 すまない。 その一言で、全てをすまそうとしているのに腹が立つ。 「おまえ……僕がどれだけ……!」 ――後は言葉にはならなかった。 言いたいことは山程あったが、それは喉を通り、空気の粗密波とは 成り得なかった。 寂しいと、素直に言える性格ではない。 互いにそうだから、いつも余計に話がこじれる。 暫くの沈黙の後、恋人は溜息混じりにこう言った。 「時間だ」 目の前が真っ白になった。 じゃあねもばいばいも言わずに電話を切る。 ガチャン。 ツーツーとなる無機質な電子音をBGMに、少しは考えろ、この藪医者。 乱暴に畳に座り、置かれていたせんべいを口にする。 めちゃくちゃに食べて口中を傷つけたい欲求に駆られるが、 それは止めておく。 ――決して、主治医兼恋人がいないからではない。自分のために止めるのだ。 せつらが本業や副業やらで忙しい時には、不機嫌になるくせに、 自分が忙しくなった途端これだ。 結局自分だけが良ければいいのではないかと穿った見方をしたくなる。 以前は何も言わないことに怒ったのだが、 今は、言う時間があまりに遅いことに怒ることが多い。 分かっている。 医者は、忙しくなる時期がせんべい屋のように分かる仕事ではない。 分かっているのだ。 だけれど。 この我儘な頭は、それを決して納得しない。 そのまま、喧嘩別れのようになって、連絡を取っていなかった。 大体、こちらが訊かなければいつ帰って来るのかも言わない。 意地になって訊かないせつらも悪いのだが、それにしたって、 早く会いたいという気持ちがあれば、「この日に帰るから、来てくれないか?」 くらいのことを言ってもいい気がする。 いや、あの男にはそうする権利があるのだから、行使すべきなのだ。 本業と、その合間の副業を行き来するだけでは、体が腐ってしまう。 この脳も、指も、心臓も、日常以外の働きをするのは悔しいことに、 ――普段は嬉しいことに――あの男といる時だけなのだから。 三週間ぶりに訪れた病院は、相変わらずどこもかしこも真っ白で、 まるでこの二週間、せつらが溜め込んだいらいらと寂しさの真っ黒い塊を 攻め立てているようだった。 受付で院長の所在を訊くのも億劫で、知らん顔で通り過ぎる。 別に呼び止められもしなかった。 ならば、あの男が制止しようとしている訳ではなかろう。 二週間分の塊を思いっきりぶつけてやろうではないか。 見上げるほど大きな扉は、せつらの手でも容易に開く。 招かれざる客には決してその扉を開かないメフィスト病院院長室。 勿論、部屋の主は、まるで太古の昔からそこにいたかのごとく、 黒檀の大デスクに腰を掛けていた。 「やぁ、久しぶりだね、せつら」 まるで二週間前、言い争ったことを忘れているかのような言葉。 かっと顔が熱くなる。 おまえは……。 「会いたかったよ」 ゆっくりと立ち上がり、せつらの方へ歩み寄る。 ケープがゆるやかに波打ち、世界中の美女が自分の顔を切り刻みそうな 美しい顔が、近付いてくる。 声が出ない。 「せつら」 ケープの前が割れ、腕が伸ばされる。 抵抗しなければ…… 早く、二週間分の棘を…… 「せつら」 ――抱き締められる。 抵抗など、できるはずがない。 この男の、この腕の中こそ、世界で一番安心できる場所と体が知っているから。 理性ができる抵抗など、たかが知れている。 溶けていく。 穏やかに与えられる熱に、二週間分の想いが、とろとろと。 会えば分かってしまう。 どれだけ、この真摯な恋人が自分を愛しているか。 そして、認識させられてしまう。 どれだけ、自分がこの男を愛しているかを。 全てを、許してしまう。 再び、同じ棘に傷つこうとも、 そのあるかないかも定かでない未来のことまで含め、許してしまう。 「……うん、会いたかった」 目を見れば、すんなりと滑り落ちる言葉。 「あんまり長い間一人にしないでね」 降って来るのは、謝罪の口付け。 どれだけこの唇を欲していたのか、考えるだけでも恥ずかしい。 触れるだけのそれから、深く繋がっていく。 求めて、求められて、体中が歓喜を叫ぶ。 赤い帽子を被った月が窓に掛かる頃、世界は目の前の恋人だけになる。 空も土も風も雲も何も無い。 ただおまえだけ。 それだけで 僕の世界は満たされる。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
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