Deadly Nightshade *いずみ遊*











 穏やかな秋の昼下がり。
<新宿>のとある場所で、神が創った唯一の唇が艶美に歪められた。
誰も知ることの無い事実として此処に記しておく。










「あの、奇麗になれるお花を売ってくださると聞いたのですけれど」

 歌舞伎町の、あまり目立つとは言えない花屋の店先で
二十歳になろうかという女がそう、店員に声を掛けていた。

「奇麗になれるですって?」

 振り返った店員は、大きな胸を強調するようなぴったりとした服を着て
美しいはずなのに何処か爬虫類を想像させる唇に笑みを湛えて
訊ねた。
女は店員のフェロモンたっぷりの色気に数歩後ずさりしながら、
ええ、と答えた。

「こちら、AWSフラワーさんですよね?」

「いかにも、そうよ。
奇麗になれるお花……、何かしら……」

「Deadly Nightshadeのことだ」

「店長、お帰りなさいませ」

 低く言ったのは、第三者であった。
店員はにこやかに笑ってその男に店長と声を掛けた。
と、すればこの花屋の店長はこの男なのか。
客である女はまた更に数歩後ずさりすることになる。
つまり……店長の顔には、精巧に作られた仮面が嵌っていたのだ。
持ち主が笑えば、きちんとその口が逆三日月に歪みそうな、
それほど精巧な。

「Deadly Nightshade……あった、こちらですわ」

 店員は胸の谷間が見えるのも気にせず、屈んで
つりがね状の花が咲いた植物の鉢植えを手に取った。

「じゃぁ、これ下さい」

 客は、ようやく店の方に近付いて、そう言った。

「湿気を嫌うから、換気に気をつけるよう」

 店の奥に入った店長が、一言、聞く者を絶望的にさせるような声で
花に関する注意を付け加えた。











「奇麗になれる花ぁ?」

 世の中でせんべいと名のつくもの以外には興味のない
せんべい屋の店長が、<新宿>のとある場所……
メフィスト病院院長室でやや大きな声で言った。

「売れているらしい。君のいとこのお陰で」

 黒檀の大きなデスクの前に座った男、この病院の院長が
目の前の本から目を離さずそう言った。

「……ああ……花屋ね」

 途端に興味を失ったように、せんべい屋はソファに寝そべった。
この院長室でそんなことが出来るのは、恐らく全世界探しても
彼くらいだろう。
そんな彼をちらりと見て、院長は漸く本を閉じた。
実は、せんべい屋が部屋に入ってから、
一度も本から目を離していなかったのだ。

「依頼なら受けないよ」

 空気から察したのか、せんべい屋は先手必勝といわんばかりに
にべもなく要請すらされていない依頼を断った。
院長から苦笑が漏れる。

「簡単な仕事なのだがね」

「嫌だ。
簡単なら、おまえのところの優秀なスタッフだけで事足りるだろう?」

「そうかね、残念だな。
先月リニューアルオープンした日本料理店から招待を受けているのだが……」

 ぴくり、とせんべい屋の耳が動く。

「君が乗り気で無いなら仕方ない。誰か別の……」











 ”その花の茎や葉を絞り、目薬として使うと、
貴女は、きっと男の方々に興味を抱かれるでしょう”












「――朝一番におまえの顔など見たくないのだがな、藪医者」

 白いケープが立ち止まった、ちょうどその位置に水を撒き、
白いシャツとブルー・ジーンズに身を包んだ男が言った。

「ご挨拶だな、秋ふゆはる」

「フルネームで呼ぶのは止めろ」

 無表情のまま――といっても、その顔は仮面で覆われていたが、
ふゆはるは白いケープの……ドクター・メフィストの顔を見た。

「用件があって参った」

 メフィストのその一言が聞こえなかったように、
ふゆはるは単調な作業を続けている。
アスファルトが漆黒の色に染まっていく。

「君のところで、Deadly Nightshadeを取り扱っているな?」

「……ああ。何か問題でもあったのか?」

「売る際に相応の注意を?」

「換気に気をつけろとだけ」

「……見上げた花屋だ」

「お褒めに預かり光栄だ」

 メフィストはケープの中から右手を出した。
それだけの動作だったが、周囲のものがみな跪いても不思議はない、
そんな神々しいものに見えるのは、圧倒的な「美」の所為か。

「君のいとこが調べたものだ」

 メフィストが差し出した紙を不承不承受け取り、
ふゆはるはざっと目を通した。

「何か感想は?」

「何が言いたいのかよく分からん」

「この店でDeadly Nightshade……
いや、ベラドンナを購入した客のリストだ。
その後ろについたのが彼等の症状」

「随分、中毒を起こしている」

「”奇麗になれる花”として売るのは間違ってはおらん。
ベラドンナの葉や茎に含まれるアトロピンは
瞳孔を拡大させる効果がある。
イタリアの高級娼婦が利用していたのは有名な話だ。
だが、……言いたいことは分かるだろう?」

「ベラドンナは誤ってその抽出物を飲むと、中毒症状が出る」

「我が病院にも、何人か運ばれて来た。
ベラドンナが続いたから妙に思って調べてみたら、君の店が引っ掛かった」

 最後の一掬いをアスファルト舗装された道路に撒くと、
ふゆはるはバケツを店内にしまった。

「そこら中で、たくさんの薬物が売られているのに、
うちだけ忠告とは、ご丁寧に」

「君の店だから、というのは個人的見解に過ぎぬがね」

 メフィストは一瞬、暗い光で店の奥を覗きこんで、
そして興味を失ったように店と店主に背を向けた。

「何か裏があっても、教えてはくれぬだろうな」

 ふゆはるは肯定とも否定ともとれる笑みをその仮面の唇に浮かべ、
遠ざかる白い医者を見送った。











 何処かの部屋。
調合師と花屋の店長がひっそりと躱した会話は、
流石の<魔界医師>にも聞こえなかっただろう。
――それは、また別の話。












一言BBS5555キリ。「秋ふゆはる」By天野さん。
ベラドンナ=美しい女性(伊)
瞳孔が開いていると、「相手が俺に興味をもっている」と無意識に思うらしく
Deadly Nightshadeが使われたらしいですよ。
瞳孔広げる為に。
 いずみ遊  2003年10月20日





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