秋風 *いずみ遊*





 じりじりとただ無意味にアスファルトを焼いていた太陽も、
夕暮れ時には、蜩をBGMに違った様相を見せる。
学校帰りの少年、バスから降りた老人、
外回りを終えたサラリーマン、これから接待の役所の課長、
彼らの頭上を豊穣の季節の訪れを告げる冷水のような心地よい風が通り抜ける。
等しく、廃ビルの屋上で一人佇む黒衣の青年にも。







「院長、秋さんがお見えです」

 数時間前、彼は久々にメフィスト病院を訪れていた。
常の如く院長室に通され、そこで常とは違った状況を目の当たりにした。
デスクに座り大量のカルテを目にしているか、本を読んでいるか
しかしていないはずの院長が、彼の見知らぬ男の腕に抱かれていた。

「おや、これはとんだところを」

 新宿一の名医として、畏怖とともにその名を呼ばれる院長を
――ドクター・メフィストを抱き締めていた男は、入ってきた彼を見ても
慌てもせず、落ち着き払った様子で言葉を発した。

「こちらが名高い、新宿一の人捜し屋かい?メフィスト」

 彼に背を向ける形で立っていたメフィストは、微かに肩を竦め、
「ああ」と頷いた。
「そのようだ」
彼はその仕草に何故か苛立ちを感じ、メフィストの肩に手を置いて
無理矢理こちらへと顔を向けさせた。
彼が院長室へ向かっていることなどメフィストにはわかっていたはずだ。
ならばどうして、彼の見知らぬ男に抱かれたまま、
その腕を解くことも、身動き一つもしなかったのか。
――どうやらそれが、彼を苛立たせている原因の様だった。

「誰だ?」

 せ、と動きかけたメフィストに被って、
彼が初めて見る男は優雅に彼へ向かって会釈した。

「これはこれは、私としたことが、失礼を。
私は倫敦で外科医をしている……」

「あんたの名前なんてどうでもいい」

 冷たく言い放たれた言葉に何を理解したのか、
男は大げさに両腕を広げて敵意の無いことを示した。
それすらも、鼻について彼の機嫌を害すのに役立ったのだが、
男には分かりようもなかった。

「どうやら、来る時間を誤った様だ。
例の件は考えておいてくれるな、メフィスト?」

 馴れ馴れしく、とは彼の目に映ったものではあるが、
メフィストの肩に右手を置いた男は、意味ありげに片目を瞑ってみせた。
途端に、きん、という高音が響く。
それは紛れもなく、彼の手から放たれた、決して外れない不可視の糸
――しかし。

「何故だ、メフィスト」

 死のチタン合金が、男の右手に触れる瞬間、
誰もが羨み、褒め称える白い手がその手を取ってみせたのだ。
僅かな動揺は、糸の進行を大きくずらした。
豪奢な部屋を飾る大きな壷が、鋭利な切り口を見せて
中身の薔薇を床へとぶちまける。

「それを問うのかね、せつら?」

 壮絶なまでに妖艶に微笑んだメフィストは、取った男の手の甲に
恭しく口付けをしてみせた。
瞳の端に、彼の――せつらの、固く握られた握りこぶしを確認しながら。

「君の方から口付けをくれるなど、どういう心境の変化だ?」

 男の問いに、メフィストは答えなかった。
答える必要が無かったからだ。
彼が答えるべき人物は、既に煎餅を床に投げ捨てて、
院長室を後にしていた。







「何が主治医だ。あんな藪、さっさとこの街から出て行けばいいんだ」

 夜の緞帳を拒んだ歓楽街を見下ろしながら、彼は黒衣を翻した。
全ては感情の起伏の一部に過ぎない。
彼はそうして、何かを押さえ込もうとしていた。
去来した明らかに今までとは違う、その感情を、
別の言葉に脳が変換してしまう前に……――
彼は、屋上の手すりを思いっきり蹴り、夜空へと落ちて行った。
――後に残るは、彼が起こした、小さな風。









日記8080キリ。「他の男に言い寄られているメフィをみて
焼餅を焼くせつら、黒白で」By京月さん。
本当は別のネタがあったのですが、止めにしてシンプルに。
そのネタでもう一つキリリク仕上げます←うわっ!
嫉妬、黒白、ということで可愛くは嫉妬しないせっちゃんで。
怒ってるせっちゃんを見て喜ぶメフィがMっぽいです。
楽しく書かせていただきました。リクエストありがとうございました。
 いずみ遊 2003年9月18日




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