彼の指で煌くのは *いずみ遊*













 死体が五体に怪我人が一人。

「上出来じゃないか」

 怪我人が白い部屋でにっこりと微笑んだ。

「掛かった時間は3分。一人頭、36秒。
すこぶる快調だ」

 だから、帰ってもいいでしょう?と言下に聞いている。
彼に対面した白い医師は、それを冷笑的に見下ろして、
切り口鮮やかな死体を五体、それぞれ検分した。
死体は五体だが、数を数えるならば、十七個の塊。
流石にこの<新宿>切っての名医、ドクター・メフィストと雖も、
蘇生は無理だったのだろう。
第一に、その肉塊は、運ばれて来た時点で既に死んでいたのだ。

「やや顔色が悪いようだが?」

 低く問いながら、メフィストは何時の間にやら現れた看護師に
それぞれの遺体が乗ったキャリアを引き渡した。
これで、何人の患者が救われることになるのか、
正確に把握しているのは、恐らく、メフィストのみだろう。
問われた方は、そのキャリアを暫く目で追って、それから視線を戻した。

「そうかな。
もし、そうだとしたら、おまえに会わなきゃならなかったからだ」

 <魔界医師>、ドクター・メフィストにこのような不遜な口を利けるものは
大勢ではないが、何人かはいる。
いや、いた、が正しいか。
その中で、精神異常も来たさず、五体満足で生きていられる人物は、
更にごく少数に限られるからだ。
しかし、そのごく少数に選ばれたとしても、メフィストが次のように
告げる人物はこの世にただ一人しかいない。

「……私に会いたくないのならば、怪我などしないでくれたまえ」

 ――秋せつら。
魔界都市<新宿>の化身。
今は、そんな様子の片鱗も見せはしまいが、その瞳の奥底には、
得体の知れない光と闇が交錯している。

「余計なお世話だ。そうやって、僕の失敗を哂おうとしているんだな」

 もう、いいだろう、とシャツのボタンを留めながら、せつらは可愛らしく唇を
尖らせた。しかし、そこには茫洋とした雰囲気が依然として纏わりついて、
何処か演技めいて見えるのだった。
聴診器も、ライトも持たない医師は、さっさと帰宅の準備を始めたクランケを
数秒、視界の中に留めた後、興味を失ったように背を向けた。
手を伸ばした先には、カルテ。

「言っても無駄だとは思うが、安静にしていたまえ。
右足首は複雑骨折をしていた。左手の火傷と共に、完治しているが、
……言っても無駄だとは思うのだがね……」

 メフィストの幾度とない忠告も全く無視して、せつらは多くの場合、
何処かしらに怪我を負って、メフィストを訪れる。
無論、せつらにしてみれば、医者に会うのは怪我か病気か死ぬ間際、
そんなことは当たり前じゃないか、となるのだが。

「無駄だと思うなら言わないことだね。お互い、時間の無駄だ」

 にべも無く返して、せつらは扉のところまで、振り返りもせずに歩いた。
せつらの動きに合わせて移動する、一組の視線も気にしない風に。








「あ、そうだ」

 どうでも良いことを思い出した、とでも言うように、扉を開きかけた手が止まる。
そのまま、せつらの躯が通り抜けられる位までに扉を開き、
せつらはそれを背もたれに、メフィストを見た。
簡単に視線が合う。

「前から訊こうと思ってたんだけどさ。
おまえ、僕が死んだら、どうするんだよ。
……剥製だけは頼むから止めてくれよ」

 心底嫌そうな顔をして、せつらは言った。
メフィストは一瞬、何を言われたのか分からなかったのか、怪訝そうに眉を顰め、
それから押し殺すように笑い始めた。

「何を言い出すかと思えば……」

「僕が生きている内から、あんな妙な複製品を作るんだから、信用ならない」

 せつらが指しているのは、勿論、このメフィスト病院にて生産されているという
自分のダミーのことである。

「君は信じないようだが、私が君に差し向けようとしているキューピットは、
目隠しなぞしておらんよ」

「なら、治療中に変な目で僕を見るな」

「これは失礼」

 メフィストはくつくつと笑いながら、憮然とした面持ちのせつらを見つめた。
それから、瞬きを一回。
再び、その深遠の黒を纏った瞳が開かれた時、
途端に、周囲の音が消えてなくなるような、感覚に陥る。

「安心したまえ、剥製なぞ無粋なものにはせんよ。
残念ながら、私は君の亡骸などお目に掛かりたくないから、
きっと他の者に焼いてもらうだろうな…………」

 そこで一呼吸置いて、メフィストは意味ありげに微笑んだ。

「ところで、骨だけになった君は、最早、君の所有物ではないとは思わぬかね?
ただの炭素だ。この世に存在する無数の原子の一つにしか過ぎない」

 せつらは、何となく、頷いた。

「私がその原子をどう扱おうと、それは、他の様々な化学実験の一貫として
認められるとも、思わぬかね?」

「……おい、僕を埋めてはくれないのか?」

「勿論、埋める。
だが、骨壷に収められる以外の骨は全て捨てられるのだ。
墓石の下にいられるのはせいぜい躯の三分の一といった所だろう」

「……その捨てるべき骨でおまえは何をしようと企んでるんだ」

「……秘密だ」

「……秘密なのか」

「そうだ」

「その骨の持ち主である、僕にも秘密なのか?」

「私は君の亡骸を見ない。焼かれて残った骨だけを見る。
その骨だけを見ても、私は誰の骨かも分からぬ。
私はただ、それが炭素で出来ているから、そうしたいだけなのだ。
……君には関係があるまい」

「白馬非馬の詭弁だな」

 それには答えず、メフィストは黒檀のデスクに腰を下ろした。
せつらも、そこが引き際と知って、半分開いたドアからするりと外へ抜け出した。
そこに続くのは無味乾燥な廊下。
謎々が解けないもどかしさのようなものを胸に抱えて、
黒衣の青年は、常の調子で真っ直ぐ歩き続け、
何時の間にかに、病院内で唯一、騒がしい受付前へと出ていた。









 メフィスト病院、院長室。

「愛はかくも短く、忘却はかくも長い」

 スペイン詩史上、最高の恋愛詩として人々に愛されている詩の一説を
その深く重みのある声で詠じて、メフィストはそっと自分の指に嵌った指輪を撫ぜた。
仮令、地下深くで、その袂を分かち合っていたとしても、
炭素がダイアモンドに成り得る事を彼は知っていた。
地球上で最も硬い鉱物。ありえない永遠を、形容される。










――彼の指で煌くのは……












 パブロ・ネルーダの詩にインスパイアーされて。
遺骨からダイアモンドを作るのは、本当の話らしいです。
私もダイアモンドになりたい……。
 いずみ遊 2003年5月17日




*ブラウザを閉じてお戻りください*