dark for you *いずみ遊*
「せつら……」
名前を呼ばれる度に、愛されていることを実感する。
言葉は魂を宿すと言う。
切なく、甘く、祈るように。
「ここだよ」
手を伸ばすと、滑らかなケープにぶつかった。
案外近くにいたらしい。
全てを塗りつぶす黒は、距離すらも無効にしてしまう。
「何故、灯りを消しているのかね?」
「消したんじゃないよ、おまえが入ってきた途端に消えたんだ」
「ふむ……」
手探りで、そっと胸に抱き込まれる。
ベッドに座って本を読んでいたのにこれでは読めないだろう。
まぁ、どちらにしろ、彼が帰ってきたのならば必要ないけれど。
恐ろしいまでに完璧な形をした手が、僕の頬を撫ぜる。
輪郭を辿り、額、鼻、そして唇。
目印に人差し指を置いて、彼の唇が下りて来る。
触れ合う唇。
薄く口を開いてやると、氷を含んでいたような冷たい舌がゆっくりと侵入してきた。
どうせ、直ぐにもとの熱さを取り戻す。
僕も暗闇に向かって腕を差し出して彼の躯を抱き締めた。
普段、抱き合う時に電気を消すことはあったが、
あの蒼い光だけは絶え間なく降り注いでいた。
それが無いのは、何だか奇妙な感じだ。
ベッドに押し倒されながら、窓の外に煌くネオンに気付いた。
停電でもないらしい。
まぁ、停電だったら、自家発電が直ぐに働くのだが。
余所見を咎める様に、天井の方へと向かされる。
実際は互いの表情も見えないのだけれど。
頭を抱え込むように両肘を突き、何時もよりも強引な口付け。
彼のケープを脱がそうと、手を上げると、指を絡められた。
「んん……」
真意を計る為に、膝を立てて、彼の脚に自分の脚を摺り寄せる。
シーツの感触がむずがゆい。
「何かね?」
微かに乱れた息。
頬に触れる、さらさらの髪。
暗闇の中では、圧倒的過ぎる視力が効かない分、
聴覚や触覚が鋭くなる。
「キスだけ?」
気配で彼が笑ったことが分かる。
彼が穏やかに笑うのが、好きだ。
暗闇の所為で、折角のそれも見れず、悔し紛れに腰を押し付ける。
「口付けだけでは満足出来ないかね?」
出来ない訳では無い。……彼と熱を交わす前は、そうだった。
けれど、恋が愛へと変わった瞬間、人は相手に対して多くを望む様になる。
そんな、綺麗な言葉で言い訳など、しないけれど。
「出来ないよ」
「それは、困ったな……」
「なんで?」
「こんな暗闇では君を抱けない」
「……おまえは、真性の莫迦だ……」
「自覚はしているよ、君に関しては」
抱き寄せられ、口付け合う。
一時間経っても、灯りは点かなかった。
どうやら、病院内も停電はないらしく、この院長室だけが闇の支配下に入ったらしい。
別に、光が無くても困らない二人は、ベッドに横になりながら他愛も無い会話をした。
こういう関係になってから、週に二三度は話をするが話題が尽きることは無い。
会話が途切れることがあっても、その空白は息苦しいものではなくむしろ心地よい間だった。
「多方面から恨みを買いすぎなんだよ、おまえは」
「心外だな」
「無自覚なんだか、お惚けなんだか……」
「私は、君が此処にいればそれでいいのだが」
「言ってろ」
「君も同じ事を思っているのに?」
「……その自信は何処から来るんだよ」
「さて」
唇が重なるごとに、声は砂糖菓子的な甘さを帯び、躯はより確かな熱を求める。
けれど、彼が暗闇では抱けない、と言ったから、そっとそっと心を鎮めていく。
それに気付いて彼が手を伸ばしかけたが、いい、と断った。
「ああ、そういえば、今日は満月だったね」
窓の向こうに、パールの様な光が見える。
月の明かりは、どんな都会にあっても消えることは無い。
彼は額に一つ、口付けを落としてから、ベッドを降りた。
「カーテンをするのを忘れたのがいけなかったのか……」
呟きながら、カーテンを引く。
窓の灯りが刷毛で塗りつぶすように一瞬で消えた。
すると、天井から何時もの得体の知れない蒼い光が降って来た。
彼がこちらを向く。
ああ……。
「恨み、じゃなくて嫉妬、かな」
「君以外のものの気持ちなど、私に訊ねないでくれたまえ」
「藪」
「……君以外に関しては認めるよ」
そして、始まりの口付けを、一つ。
いずみ遊 2003年3月5日
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