Want your word *いずみ遊*
「ねぇ、メフィスト。抱いてよ」
院長室に入ってくるなり秋せつらはそう言って、
まるで自分の家の様に、ベッドの上に上がった。
それが、1時間半前の出来事。
「やっぱり、おまえが一番、いいよね」
ベッドの上でうつ伏せになり、肘をついて顔だけを上げた状態でせつらはにっこりと笑った。
まだ少し息が弾んでいる。
「同意を求められても困るが」
「そっか、自分じゃ自分を抱けないしねー」
そういう問題なのだろうか。
彼の思考回路は未だによく分からない。
それより私は彼の躯についていた幾つもの傷が気になった。
情事中に全て治したが、数が半端ではない。
流石に最中に訊ねるのは気が引けたので、訊ねてみる。
「ああ、あれはそういうプレイなの」
「……一昨日かね?」
「いや、一昨昨日の相手かな」
平然と言う。
彼の様に美しければ、迫られた方は否とは言わないだろう。
しかも、自ら進んで「抱いてくれ」となれば、喜ぶ男の方が多い。
金も貰わず、かといって、付き合うわけでもない。
その場限りの、秘め事。
「でもどんなヤツと寝ても、結局おまえが一番、ってことは、
僕、おまえのことが好きなんだろうなぁ……」
「セックスで決めるものかね、そういうことは」
「んー?」
せつらは不意に私へ口付けてから、そうだよ、と言った。
悪びれる様子も無い。
「躯を繋いで気持ちいいなら、それは心を繋いでも気持ちいいってことでしょう?」
それに、とせつらは私の目をじっと見つめてくる。
「おまえ、自分本位に僕を抱いたりしないだろ。
ちゃんとクリームで馴らしてくれるし、ゴムも付けてくれる。
まぁ、ゴムは僕の方が危ないからねー。
変な道具を持ち出したりしないし、まぁ、言っちゃ、
刺激がないってことになるけど……。
でも、おまえに抱かれてる時はすっごい、幸せな気分になれるよ」
「それは良かった」
ここの所、せつらはずっとは躁と鬱の極を行ったり来たりしていた。
理由は定かではないが、とても不安定だ。
毎日、見てやれればいいが、そうも行かない。
彼はきちんと自立した一人の人間であり、そして、私もあまり手が空かない。
だからこうして、「抱いてくれ」と彼がやって来た時には、
出来る限り彼の相手をしてやる。
「ねぇ、もう一回、しよう?」
ごろん、とベッドに横になり、せつらが顔をこちらに向けた。
既に微かに瞳が潤んでいる。
今日の彼は限りなく躁状態だ。
もっとも、鬱の時には、院長室まで来ない。
大抵、受付まで来て出血多量で倒れている。
自分で傷つけたか……或いは、攻撃者に対して意図して反撃をしなかったか。
彼はそれすら答えはしなかったが。
「メフィストだけだよ?一回で止めちゃうの」
「君が満足していないというならば、続けるが」
「……うー、反論できないのが、悔しい。
おまえ、医者だもん。ずるいよ。
僕のイイトコロ、全部知ってる」
せつらは腕を伸ばし、私の髪を一房、取った。
そして、恭しく唇を寄せる。
「おまえが僕より先に死ぬことがあったら、この髪を頂戴。
そしたら、多分、僕は誰にも抱かれないようになるから」
少し彼の瞳が翳る。
そんな彼を見たくなくて、私は彼を抱き寄せた。
微かに煙草の香りがする。
誰かに抱かれてからここへ来たことなど、分かっている。
どんなに躯を清めたとしても、他の男の匂いは消せないのだ。
暫く無言で抱き合った。
「君が金輪際、他の誰のにも抱かれないようになるならば、
私は今ここで死んでも構わぬよ」
この胸の痛みが消えるならば、それでもいい。
そう口にすると、せつらの手が何かを言いた気に私の背を彷徨った。
結局、それは言葉にならず、肩を竦めるに留まった。
「馬鹿メフィスト。おまえが今ここで死んだら、僕は<新宿>中の人間に恨まれるだろ」
「私の気持ちを解さない君など、恨まれてしまえばいい」
「無茶苦茶言うなよ……。
おまえだって僕の気持ちなんて分からないこと位、分かっているのに」
分かっている。
人間など、所詮、分かり合うことなど出来ないのだ。
理解しようとすることは出来るだろうけれど、それも相手との対話が無ければ不可能なこと。
「何で、毎晩、抱かれる為に出歩くのか分からないんだ」
ぽつり、と彼が言った。
「本当は、おまえに抱かれたいんだと思う。多分。
何時も、歌舞伎町の辺りで相手を見つけるから。
此処の近くまで、毎日来てるんだ。
でも、もしかしたら、おまえよりも、アイツの方が、って考えて、
ソイツを誘う……それの繰り返し。
毎晩毎晩」
それは、知っていた。
往診の行き帰りにこの頃、彼を良く見かけていた。
何処に居ても目立つ男だ。直ぐに分かる。
けれど、殆どの場合が隣に男を連れていた。
その男が同じであった例は無い。
「おまえのダミー、一体貰ってった方がいいのかなぁ。
少なくとも、夜に出歩く必要、無くなるし」
私は驚いて、上半身を起こした。
急に抱いていた腕を離したので、躯が90度、回転したせつらが恨めしげにこちらを見上げる。
そんなことには構っていられない。
「何故、ダミーなのかね?」
「はぁ?」
今度は怪訝な顔をされる。
「君のその奇妙な夜歩きが収まるまで、此処へ来ればいい話ではないのかね?」
「……それで、おまえがわざわざ僕の病気が治るまで抱き続けるの?何で?」
「何故って、君は私に抱かれたいのであろう?」
「そりゃそうだけど、何でおまえがそこまでする必要があるんだよ」
……何を言っているのだろう。
やはり、私と彼が分かり合うなどと、永遠の理想でしかないのだろうか。
「まぁ、いいよ。ダミー作るの時間掛かるだろうし、
何とか他の解決方法を探ってみる。
……ねぇ、それより、もう一回しようってば」
せつらは私の首に腕を絡ませ、続きを強請る。
何だか、空しくなってきた。
溜息まで出てくる。
永遠の理想、か。
「私は君をこんなに愛しているのに……」
思考が言葉になって思わず漏れていた。
彼の要求を満たす為、口付けを落とそうと彼の顔を覗き込むと、
せつらは何故か虚を衝かれた顔をして私を凝視していた。
そのただならぬ様子に、私はまたか、と躯を再び起こした。
彼は一度、「やっぱり止めた」と行為の途中で投げ出した前科があった。
「何かね?やらないならば、大人しく此処で」
眠りたまえ、明日も早いのだろう?と何時もの言葉を続けようとしたが、
それは叶わなかった。
「ねぇ、もう一回言って」
自分の言葉と被って、彼が何を言っているのか一瞬分からなかった。
「……?何を」
「だから、『私は君を……」
「『私は君をこんなに愛しているのに』?」
彼は急に顔を顰めた。
泣く寸前の様にも見える。
表情がコロコロと変わり過ぎる。
やはり、一度正規に診療した方がいいかもしれない。
「何で、そんなこと今更言うの?」
「……普段から言っていたように思うのだが」
そして、良い様にあしらわれていた気がする。
全く、何故こんな男が好きなのだろう……。
「僕がおまえを好きになってからは一度も聞いてない」
怒ったまま、彼は私を睨む。
茫洋としているから、迫力は全く無いが、彼がそれなりに怒っていることは分かる。
「そんなことを言われても困る」
「何だ、これで相思相愛、万事オッケーじゃん」
ぱっと表情を明るくした彼に、私は更に言葉を重ねることを暫し忘れた。
「……だから、何が……」
辛うじて言えた言葉も、意味を持つセンテンスにはならなかった。
「何ボーっとしてるんだよ。早くしようよ、セックス」
……取り合えず、彼が再び笑顔を見せたので、
それでいいことにする。
それから、彼は見ず知らずの男に抱かれることは全くなくなった。
躁鬱の差も段々となくなり、今では常の状態と殆ど変わらない。
――ただ、「メフィスト、抱いて」とやってくるのは、相変わらずだったが。
いずみ遊 2003年2月19日
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