足枷 *いずみ遊*
オペから戻ると、院長室が血の海となっていた。
……とは少し大げさな表現か。
メフィストは、白い床にスタンプされた血の靴跡を見て、ふむ、と頷いた。
やれやれ、また治療代のツケを増やしに来たのか、と
その血を辿ると、案の定、ソファーの上に予想通りの人物が座っていた。
「少しは他人の迷惑というものを考えてみたらどうかね、秋くん」
そう言いながら、血だらけのコートを羽織り
やや蒼い表情で目を閉じているせつらの前に立つ。
と、メフィストの瞳に不思議な感情の色が流れた。
「……珍しいな。「私」の君」
「……おまえの病院は患者を立ったまま待たせるのか。
やはり藪はすることが違うな」
皮肉を言いつつ瞳を開いた、その美しさ。
普段のせつらを知っている者ならずとも、その凄惨さが分かるだろう。
触れれば切れそうな鋭い気を発し、見るものを美貌だけでなく、
雰囲気で圧倒させるものがある。
「藪と知っていて来る君も君だがね」
メフィストは皮肉をさらりと受け流し、ケープから右手を差し出してせつらの頬に触れた。
冷たい指先が、頬から唇に動いても、せつらは何も言わなかった。
「……不思議なものを口にしたようだな。
いや、内から湧いて出てきたか……。
この血は君のものではあるまい?」
「訊かねば分からないのか、藪」
「相変わらずだな。
――……上着を脱ぎたまえ」
せつらの右手が微かに動いたかと見えた途端、
衣服は鋭利な切り口を見せながら、ソファーの上に落ちた。
「やはり出血は無いか。誰の返り血かね」
せつらの白い肌を一瞥して、メフィストはせつらが切り取った衣服を手に取った。
「おまえのところの、操り人形だ」
「……ほう。面白いことをする……」
「ここで待っていた。訊けば、おまえに呼ばれたらしいが」
と、せつらが視線を向けた方をメフィストが見ると、そこは文字通り血の海になっていた。
その海の中でばらばらになったせつらのダミーがすでに腐敗を始めている。
メフィストは眉を顰めた。
「何か君に?」
全ての関節ごとに切断された見るも無残なダミーのなれ果てを横目に訊ねる。
「……」
「……まぁ、いい。君の治療が先だ」
メフィストはベッドに座ったせつらに跪く形で床に片足を下ろした。
右手の人差し指をせつらの腹に当て、左手はしっかりとせつらの顎を捉える。
せつらはその間、ずっとメフィストの頭頂部を凝視していた。
まるで、そこに何か邪悪な者がいる、というように。
ゆっくりとメフィストの人差し指がせつらの腹から胸、そして喉へと移動をする。
その速度に合わせ、奇妙な形にせつらの肌が盛り上がった。
「っ……」
流石に喉が異物に変形した時、せつらは咽るように喘いだ。
それを合図にしたかのように、メフィストの指がせつらの口内に突っ込まれる。
次にそれが現れた時、そこには何やら蠢くものが摘まれていた。
「――蜘蛛、だな」
確かに、メフィストの指に摘み出された物は、
なんと、全長3センチ程の蜘蛛であった。
「呪いで実体化したものだろうが、よく出来ている。
一体誰に呪われたのかね?」
興味深そうに緑色のそれを見つめていたメフィストの肩を
不意に、喉を刺激されて咳き込んでいたせつらが掴んだ。
「せつ……」
少し高い位置から、覆い被さるように強引な口付け。
メフィストが身を引こうとするが、ローテーブルが許さない。
閉じた歯列を舌でこじ開ける。
何度も誘われ、メフィストは仕方なく求めに応じた。
ねっとりと舌を絡め、角度を変えて深奥を探すごとく。
これ幸い、と逃げたした蜘蛛を、チタン合金の糸が真っ二つにした時、
メフィストは名残惜しそうに瞳を閉じた。
始まりと同様、唐突に唇を離したせつらは濡れた唇を手の甲で拭い、
跪くメフィストには目もくれず立ち上がった。
そして、身震いを一つして
「僕の服」
一言。
メフィストはちらりとせつらを見上げ、そして溜息を吐いた。
「口付けが拙くて嫌われたか……」
「……藪医者」
くだらないことを言っている暇があるならば、
さっさと代えの服を持って来い、と視界からメフィストを追い出す様にくるりと背を向けた。
そこに先程までの鬼気迫る雰囲気は最早無かった。
「君はこれから、暇かね?」
せつらの服を取りに行きかけて、メフィストは歩を止めた。
寒そうに腕を擦っていたせつらが、は?と振り返る。
「別に、……後は帰って夕食食べるだけだけど?」
「直ぐには君の服を用意出来ない。
――……服が無くてもよいことをしないかね?」
じゃぁ、今、取りに行こうとした動作は一体何だったんだよ、と
返す代わりに、せつらは肩を竦めた。
「夕食はちゃんと食べさせてよね」
結局同じことではないか
差し伸べられた手に、自分のそれを重ねた時、
脳裏に響いた声をせつらは黙殺した。
……そんなことは当たり前だ。
幾ら僕が憎くて、ダミーを殺したところで、おまえが本物の僕を殺すことは不可能なのだから。
――なぁ、僕の中のもう一人のおまえ。
どうしてメフィストがおまえを愛していると知った時に彼を自分のものにしなかった?
今なら何となく気持ちが分かる気がする。
おまえは「秋せつら」の別の一面でしかない。
永遠に、おまえは「秋せつら」にはなれない。
――……それを、おまえは足枷と思ったのだろう?
気にすることなど何も無かったのに。
「内から湧いた、蜘蛛、ね」
呟いたせつらを、不思議そうにメフィストが見た。
日記4222リク。「ハイパーせつなくてディープな黒白。キーワードは永遠」Byりらさん。
出来れば、「私」せつらということでしたので、ご希望通りに「私」せつらで。
……と書き始めたのはいいのですが、「私」せつら→メフィのメフィせつという奇妙な物に。
自分でも何故こうなってしまったかはよく分かりません。
これに懲りず、またリクしてくださいませ。 いずみ遊 2003年2月2日
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