魔法をかけて *いずみ遊*
ふわふわのマシュマロみたいな世界から、急に眩い光を感じた。
「ん……っ……」
ぱちっと目が開く。
――なんだ、夢だったのか。
本来見慣れるなんてありえない天井が朝の光を反射していた。
隣を見ると、珍しく熟睡しているメフィスト。
そういえば、昨夜、「疲れている」という眉唾物の理由で
口付けだけ交わして強引にベッドに引き込まれ、布団を被せられた。
こっちは全然眠たくなかったのに。
でも、まぁ、お陰でゆっくりと睡眠を取る事が出来た。
メフィスト病院の院長室、という難攻不落のシェルターで、
しかもメフィストと同じベッドで眠るとなれば、何の警戒も無く眠ることが出来る。
――まぁ、どっちにしろ、……。
自分の思考に浮かんだことがあまりにも恥ずかしくて、勢い、ベッドから上半身だけを起こした。
途端に、朝の冷気が忍び寄ってくる。
冬はつとめて。
ひねくれものの清少納言はそう言った。
ありえない。冬の朝の何処がいいんだ。
こんなに寒くて、温かい布団の中へ逆戻りすることは必至。
しかも、平安時代の朝は早い。
農民はもちろん、貴族だって、7時まで布団を被って
ぬくぬくしていられたわけが無いのだ。
そんな下らない事を考えながら、ベッドの上で体育座りを
していると、すっとシーツの上を、何かが通った。
びっくりして後ろを見ると、それはメフィストの腕だった。
何かを探すように、二回、僕が寝ていたところを往復する。
「……」
じっと見ていると、メフィストの瞼が微かに震え、
黒曜石の様な瞳が現れた。
「……おはよう」
起き抜けの癖に、低く艶のある声が鼓膜を震わす。
……呆れた。
無意識に僕を探していたとでも言うのか。
本人も不思議そうに、腕を眺めている。
「おはよう」
笑顔で返してやると、
「せつら、寒い」
と何故かぶっきら棒に返された。
……ほら、この医者でさえ寒がっているのだ。
何が、雪が降っていればなおさら良い、だ。
素直に寒いと認めてしまえ、清少納言。
同じ寒いなら、冬は夜の方がいい。
空気が澄んで、星も綺麗。
吐く息が漆黒の夜空に溶け、意識は限りなく鮮明になっていく。
冬の夜は、恋人を思わせる。
「せつら、聞いているのかね?」
「え、ああ」
「寒い、と言っているのだが」
「うん。朝だからね。
おまえも清少納言は間違っていると思うだろう?」
メフィストは怪訝な顔をしてみせ、それから急に僕の腰に激突してきた。
「……海老かおまえは」
腰にしっかりと腕を巻きつけ、頬を寄せてくる。
ここまであからさまに甘えられると、こちらとしては成す術も無い。
普段、つんと澄ましている猫が、喉をごろごろと鳴らして寄ってくる時に似ている。
――要するに、こっちが照れるのだ。
「風邪を引く。起きるならば、起きたまえ」
……?
「あ、ごめん。そういう意味だったのか」
僕は慌ててメフィストの腕を外し、ベッドに横になった。
そして、布団を口元まで引っ張りあげる。
これで熱が逃げていく場所は無い。
布団が捲れて寒いなら、そう最初から言えばいいものを。
少し冷たくなった布団で、軽く身震いをすると、メフィストの腕が伸びてきた。
一人で眠るには大きいベッドだが、男二人で眠るには少々狭い。
抱き合って眠るにはちょうどいい理由だろう?と言った時、メフィストは少し唇を歪めた。
見ないフリをしたけれど、あの時おまえが考えたことを正確に言うことが出来る。
「何時までそう言っていられるかな」
「何を考えている?」
冬の冷気を含んだ声が耳元を掠める。
「……おまえのこと、かな」
間違ってはいない。
服を通してやんわりと熱が伝わってくる。
真正面から向き合うと、流石に気恥ずかしい。
再び瞳を閉じたメフィストは、じゃれるように僕の髪を弄んだ。
さらさらと。
「冬はつとめて……か」
押さえられた声。
長い睫毛。
すっと通った鼻梁。
凛と引かれた眉。
作り物めいていて、けれどそれが案外、表情豊かなことを僕は知っている。
「恋人と過ごすならば、やはりそういうことではなのかね?」
「何が?」
「つまり……平安の世には時計など無かったから、時間を知るのは太陽の動きということになる」
「……成る程」
「恋人との時間は日の出が遅くなれば遅くなる程に長くなる。
極めて自然な考えの様な気がするがね」
「…………」
不意にメフィストが瞳を開いた。
瞼を閉じているのを良い事に、まじまじとメフィストの顔を見つめていた僕は虚を突かれ、
一瞬、視線を逸らすタイミングがずれた。……そんなことする必要など無かったのに。
「―……今のは少し傷ついた」
何でも無い事の様に言うメフィストに、少しだけ胸が痛む。
けれど、院長室の天井は見慣れても、おまえの瞳だけには慣れない。
何時だって僕の顔と、「愛している」の言葉を一緒に映しているから。
「メフィスト、もう6時だよ」
枕元の時計を見る。
かちこちと正確に時を刻むそれは、平安時代より人々を忙しなくしている。
「君が起きたいならご自由に」
「……まだ眠るつもり?」
「君が居るならば」
……負けた。
どうしてそうさらり、とそういう科白が出てくるのだろうか。
亀の甲より年の功?
後にも先にも、僕だけならば大歓迎なのだけれど。
「6時間も僕の隣で熟睡しておいて、これ以上の贅沢を言う?」
「ああ」
「……そう」
何だか夢の続きのように甘い。
これだから、おまえの馬鹿に引きずられて、
僕まで馬鹿になっちゃうんだ。
「でも、おまえさぁ、あそこまで熟睡してて、
何かに襲われたらどう対処する訳?」
「君が隣に居ない時は、そこまで深くは眠らんよ」
……うわ、何だか嫌な予感がする。
「僕が熟睡してお前も熟睡してたら意味が無いじゃん……」
「そうかね?」
「そうだよ」
メフィストは暫く考えるようにあらぬ方向を見てから、僕の前髪を掻き上げた。
「二人一緒に殺されるならば、別に構わないであろう?」
――……やっぱり。
朝っぱらから、思考回路まで一緒とは。
赤面までして、ベッドから飛び起きた僕の立場が無い。
完全KO負けだ。
こんなことをして何時までも布団の中でじゃれている訳にもいかない。
メフィストは医者で、僕はせんべい屋。
平安貴族の様に優雅ではないが、それなりに忙しい。
仕方なく躯を起こしかけた時、メフィストの手が僕の服の袖を掴んだ。
「せつら、後1時間……」
そう言いながら、メフィストは僕を抱きしめる。
……何時からこんなに甘えん坊になったのだ、この男。
「んー……」
せんべいは一体何枚残っていただろう。
何故か、何時までなら此処にいられるかを計算し始めている自分。
「せつら」
厚焼きは昨日の分でいける気がする。
昼に足せば何とかなるだろう。
「んー……」
ただ、バイトには一体何と説明すればいいだろう。
これが一番の問題だ。経営者として、バイトに怒られるわけにはいかない。
「……愛しているよ、せつら」
やはり、ここは正直に、メフィストの所に泊まっ……?
「……!」
メフィストはとっくの疾うに瞼を閉じ、二度寝モードに突入していた。
変わり身の早さには舌を巻く。
「ねぇ、もう一回言って」
軽く肩を叩いても、メフィストはうんともすんとも言わない。
こんなに早く寝付ける男ではないことは知っている。
「メフィスト、ねぇ、もう一回言ってってば」
そんなにさらりと言われては勿体無い。
今まで片手で足りるほどしか言われたことが無いのに、
何故こんな時に突然言うのだ。
「ねぇってば。言わないと、デブの情報屋におまえのスリーサイズ、
ミリ単位まで売りつけてやる」
勢い良く言ってやると、流石に目を開けた。
「……せつら」
心から嫌そうにメフィストが言うので、思わず吹き出してしまった。
その位のことをすれば、あの情報屋が僕とメフィストの仲を勘繰るに違いない。
それは、ある意味、魅力的な状況だった。
「嘘だよ、嘘」
その答えが少し遅れたことにメフィストは眉を顰めたが、それ以上は何も言わなかった。
僕の耳に掛かる髪を除けて
よく聞こえるように、と
まるで大切な儀式のように
けれど、知っている
その言葉を言う、おまえの真摯さを
痛いくらいに正直で
こちらの意識を丸ごと持って行きかねない程の
強さで
おまえが仮令、どんな立場にあっても、どんな姿になっても
その言葉だけは信じてやるから
「せつら、愛しているよ」
――それは、魔法使いが使う、最短の、けれど最強の力を秘めた魔法。
一言BBS3600キリ。陸梨久さんより「凄く愛されているせつら」
えー、何を間違ったかせつら視点ではじめてしまい、激甘小説に。
確かに凄く愛されていますが、せっちゃんも愛しているのでプラマイ0です……。
いずみ遊 2003年1月30日
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