incoherence *いずみ遊*
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障子を開けると、空は生憎の曇り空だった。
初日の出、という時間はとっくに過ぎているし、
別にそれを見ようと思っていたのではないが、何となく残念だ。
ストーブの電源を入れ、スイッチを押す。
一分もすれば独特の匂いと共に着火し、十分もすれば六畳しかないこの部屋は温まるだろう。
頭の中で計算して、布団に逆戻りする。
元旦くらいは、ゆっくり休む。
最近では元旦から初売りをする店もあるらしいが、果たして儲かっているのだろうか。
取り留めの無い考え事の合間に、また、窓の外を見上げる。
雪が降るとは言っていたが、もう降り止んでしまったのだろうか。
掛け時計を見ると時刻は10時を回ろうとしていた。
自転車が玄関先に止まる音。
――年賀状だ。
学生バイトはこの寒い中、せっせと赤い自転車を漕いで街を回る。
大した時給も貰えないのに、よくもまぁ。
「正月から働くなんて、正気の沙汰じゃないよ、まったく。」
――呟いて、少し、せつなくなる。
「明けましておめでとうございます、先生」
朝から幾度となく言われる挨拶。
けれど、それが無ければ今日が元旦という事実さえ、忘れていただろう。
何時もと同じ風景、行動が繰り返されるだけ。
いや、少しだけ常より忙しいだろうか。
入院患者の数は増減するはずがないのに対し、職員は3割程が休暇を取っている。
呼び出せば出勤するだろうが、それは避けたかった。
勿論、正式な休暇届けを出した者を、出勤させるのが後ろめたい所為もあるが、
正月気分の人間が仕事に借り出されて、果たしてきちんと働けるのかどうか、訝しいというのが本音だ。
気が付けば閑散とした受付前を急患を乗せたキャリアカーと共に何往復もしていた。
救急車が到着し、患者が引き渡される。
その短い間だけ外の空気に触れることが出来る。
手術室に篭もっていたままでは精神的に悪い。
けれど、外も似たようなものだった。
どんよりと曇り、身を切るような寒さだ。
葉の無い木の枝が、強風に撓っている。
「こんな日は一日中、家の中にいるに限るな」
――そうしているであろう人物が、ふと、脳裏に浮かんだ。
町内会のパワーは凄い、と改めて思う。
近所付き合いもしてみるものだ。
お裾分けしてもらった餅を網で焼きながら、
片手で新聞の折込広告を眺める。
最近では、選べる福袋が増えてきている。
既に、「袋」という概念はそこにはないのだが、
購買者から見れば、中身が分かっていた方がお得と言えば、お得だ。
――中身が分かっている……?
せんべい屋が福袋を売り出したら、中身は間違いなく煎餅である。
これは、果たして、売れるのだろうか。
「実験してみる価値はあるかな。」
――本当は、ただ口実が欲しかっただけなのかもしれない。
正午過ぎになり、ようやく一段落がついた。
見舞いも少ないため、病院全体が本来の静けさを取り戻す。
最も、騒がしかったのは医師自身の周囲だけかもしれないが。
6時間ぶりに院長室へと戻る。
今朝方シビウが置いて行った試薬がそのままに置いてあった。
もう少し可愛げのあるものを置いていけばよいものを、と苦笑する。
試薬を分析器にかけようとした所に、
ちょうど高分子ホログラフィーが空中に現れた。
また、急患が運ばれてきたのだろか。
「院長、お客様がお見えになっております。」
年始回りが始まったのか。
一介の医者に過ぎぬ人間へ、年始の挨拶をして何の得になることがあろう。
試薬に後ろ髪を引かれつつ、第一応接室へお通ししたまえ、と言うと、
看護婦は、ちらりと『お客様』の方を見て言った。
「あの、秋様なのですが。」
秋様、という言葉を一瞬理解出来なかった。
従兄弟の方を思い出したくらいである。
正月の昼から、まさか、彼が訪ねてくるとは。
「では、院長室へ」
――試薬は後回しだな。
重厚な院長室の扉が開かれて、秋せつらが大きな紙袋を一つ、
携えて、入ってきた。
「やぁ、……お疲れ?」
「いや、大丈夫だ。」
ふぅ、と息をついて、せつらは紙袋をローテーブルへと置く。
そして、がさごそと中身を探り始めた。
大きな紙袋から、二回り程小さい紙袋が出される。
そこには見慣れた「秋せんべい店」の文字と、見慣れない赤いステッカー。
「はい、コレ。」
がさり、と渡されて、メフィストはまじまじとその袋を見つめた。
「何かね、これは。」
「福袋だよ。」
「福袋?」
「そう、来年から売り出してみようかなぁ、と思って。嬉しい?」
袋の口を開けて、中身を覗いていたメフィストへ、
せつらは首を傾げてみせる。
この院長にこの技が効かないことは知っている。
「鬼が笑う様な話だが、実験台にされた身としては嬉しいかな。」
意外な言葉に、せつらは呆けた顔をして、それから微笑んだ。
「そう、それは良かった。」
メフィストはソファーに座って、秋せんべい店2004年発売予定の
福袋の中身をテーブルの上に広げ始めた。
嬉しい、という言葉は嘘ではないらしい。
せつらは、持ってきた袋の中からタッパーを四つ取り出して、せんべいの横に並べた。
「これは?」
「近所の人から、おせち料理のお裾分けを貰った。」
せつらがタッパーの蓋を一つずつ開けていく。
栗金団、数の子、黒豆、ブリの照り焼き、筑前煮、紅白なます。
せつらが、「町内会の力は凄い」と言ったのも頷ける様な中身だった。
「一人身だと、おせち料理なんて作らないだろう?
おまえも、何も食べないまま仕事してるんじゃないか、と思ってね。
まぁ、おまえもと言っても僕はさっき起きたばかりだから
食べてないだけなんだけど。」
メフィストが、せつらの訪問を「この時間に」と驚いて見せたのも、
強ち間違いではなかったらしい。
お茶を淹れよう、と立ち上がりかけたメフィストをせつらの手が制した。
「僕が淹れるよ。」
「……どうしたのかね?」
「え?別に。時間に余裕があると、親切心が湧き上がるものだよ。」
「それは初耳だな。」
ご丁寧に、紙皿と割り箸まで袋の中に入っていた。
メフィストは、テーブルの上へ、皿と箸、そして料理を並べた。
「本当はお雑煮も持ってこようと思ったんだけど、
鍋ごと来るわけにはいかないからさ。」
「ありがとう。」
せつらは湯のみを二つ持って、メフィストの隣に滑り込んだ。
メフィストはちらりとせつらを見るが、せつらは気にした様子も無く取り皿を手にした。
「数の子数の子」
妙な節をつけて、金色の数の子を取った。
独特の触感と、程よい塩味が口の中に広がる。
目の前にある色鮮やかなおせち料理。
立ち上るお茶の香り。
触れ合っていなくても、伝わってくる互いの体温。
懐かしい、何処かに忘れてきてしまっていた風景だった。
せつらは急に胸が締め付けられるような気持ちに襲われて、
メフィストのケープの裾をそっと掴んだ。
「……こうやって、食べてるの、きっと、僕とお前だけだよ。」
急にしんみりとした口調で言ったせつらに驚いたのか、
メフィストは湯のみで手のひらを温めながら、せつらの方を見つめた。
家族でもなく、友人と言うには、少し抵抗があり
敵でも味方でもない関係。
何でもいい、カテゴリーに収められたら、
どんなにか平穏に毎日を暮らせるだろうか。
せつらは、厚くひかれた絨毯を凝視した。
少なくとも、この瞬間、流れる時の甘美さに、
苦しくなるなんていうことは、起きないはずだった。
メフィストはお茶を一口飲んでから、穏やかに口を開いた。
「一番気の置けない人間と食べる、という点で
別に特異な例では無いと私は思うがね。」
せつらは、俯いていた顔を上げ、メフィストを見つめた。
鼓動が早い。
何時見ても、メフィストの瞳は決して嘘を吐かない。
真摯で、限りなく深くまで相手を汲み取ろうとする。
……その瞳が、好きなのだ。
人は彼の美しさを限りない言葉を尽くして説こうとするが、
そんなものは彼の一部でしかない。
「そうかな」
考えていることと全く反対のことが口をついて出た。
――何時か、それが重なって本当のことになってしまえばいいのに。
そんなせつらの心中を知らぬ気に、メフィストは肩を竦めた。
「さて、君がどう考えようと自由だがね。」
そう言って、メフィストは黒豆に箸を伸ばす。
怒っている様子は無い。
当たり前だ。
メフィストは、ただ言葉の意味そのままの気持ちで言ったのだから。
せつらはそこに、違う意味を付け足したくなる。
返されたテストへ正解を書き込むように、無意味な作業。
「今年もお前は藪医者決定だ。」
せつらは大きく宣言して、メフィストに抱きついた。
「悔しかったら、どういう気持ちで僕がここへ来たか、
400字で言ってみろっ!」
今年一年、また頑張れる様に思いっきり、その白い躯を抱きしめる。
戯れの様に振舞って、軽い口調で言ってみれば、何の疑問も持たないだろう?
だから、お前は藪なんだ。
スキ、と
いっぱい頭の中で囁いて、その言葉で窒息しそうになるくらい。
こんなにも近くにいるのに決して届かない言葉。
熱のように、感情も高い方から低い方へと移動してしまえばいいのに。
「藪医者」
――ハヤク、キヅケヨ
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全てが一貫しているメフィが少し羨ましいせっちゃん。
せっちゃん、かわいいですね……。
何で気持ちは、流れていかないんだろう。ビー玉二つ、世界に、二人。
いずみ遊 2003年1月2日
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