Your love *いずみ遊*





・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・







 「好敵手」と書いてライバルと読む。
果たして、自分はこの相手にとってそんな存在なのだろうか。
上辺、のほほんと味のしない紅茶を飲みながら、
せつらはマジマジと目の前にいる、黒に愛された女を見つめた。
――寧ろ、そんなものに認定された途端負けてるんじゃ……。
マイナス思考が頭を染める。









「あら、奇遇ね」

 家の近くに出来たケーキ屋へ偵察に出掛けたせつらは、突然腕を引かれた。
細く長い女特有の白さと柔らかさをもったそれは、せつらを少しだけ傷つける。

「甘党ですか、シビウ……さん」

 未だに何と呼んでいいか分からない。
せつらは自分の戸惑いが可笑しくて、微かに笑みを漏らした。
シビウはそれを違った意味に解釈したらしい。

「いけないかしら?勿論、おせんべいも好きよ」

 そう言ってせつらを気遣うのは、自分が優位にあると知っているからだろうか。
やはり慣れないことなどしない方がいい、とせつらは肩を竦める。
碌なことがない。
好きなヤツの恋人、なんて、本当は会話もしたくないのに。

「ちょっと、喫茶店でお話する?」

 そう言われて断れなかったのは、弱さなのだろうか。











 そんな経緯で、せつらとシビウは小さな喫茶店で膝を突き合わせている。

「何故、あそこのケーキ屋に?」

 もう一口味のしない紅茶を口に含んでから、せつらは訊ねる。

「メフィストが言っていたから」

 簡単な答えだったが、それだけにせつらは聞かなければよかったと後悔した。

「貴方はどうして?」

「……店長として、ライバル店への偵察へ」

 シビウは納得したように頷いた。

「でも年収3000万と言ったら、それ程他店のことを気にしなくてもいい様な気がするのにね。
せんべいとケーキじゃ、客の取り合いも起こらないでしょう?」

「バイトが、『店長もあのケーキ屋さんを見習って、
この店をもっと若者向けに改装したらどうでしょう?』とおかしなことを言い出したから……」

 シビウはまるで小動物に微笑むように、笑った。
似ている。





 ――……その仕草、表情が、違う誰かと重なる。





「シビウさんは、<区内>に住んでるの?」

 何気なく切り出した会話に、シビウは不思議な色を瞳に湛えてせつらを見つめた。
交わされる視線の美しさに店内の喧騒が消える。
そんな状況も頷けてしまう程に、この男女は美しかった。

「貴方、メフィストのことが好きなのね」

 全く答えにならないセリフが吐かれ、せつらは後少しで、
紅茶のカップをひっくり返すところだった。

 何故、それをと言うより、その断定の強さに驚いたのだ。
それを悟られるほど、彼女と会話を交わした記憶はないし、
第一に、あの医師本人すら気付かれていないのだ。
どこかでヘマをやらかしたとは思えない。
じゃぁ、何故?











 せつらが考えている間―と言っても、それ程長い間ではないが―
シビウはせつらを見つめ続けていたが、
その内、セリフを切り出したのと同様に、唐突に笑い出した。

「嘘よ、嘘。冗談に決まってるでしょう?
そこまで真剣に悩まなくても<区内>にそんな噂は広がってないから大丈夫よ」

 ちくり、と心が痛む。

「其処まで貴方が素直だとは思わなかったわ。
雑誌記者が来ても今みたいに答えに戸惑っちゃ駄目よ」

 諭される。
何故、こんなことを言われなくちゃならないのだろう。
せつらは、俯いた。
少し、頭痛がする。
一刻も早くこの場から立ち去りたい。
……分かっている。
シビウが悪いのではない。
彼女は悪気なく、本当に冗談のつもりで言ったのだ。
ただ、それが悪気が無いだけに痛かった。
それは疑いたくなるくらいに、真実なのだ。
そんな噂が流れるはずもないし、噂に至る火すら熾ることもない。
分かっている。
分かっているのだ。












 それから、何を話してどうやって別れたのか、せつらには全く記憶に無かった。
気が付くと、メフィスト病院の前に小さなケーキの袋を持って立っていた。
何人かの面会人や患者が不思議そうにせつらを眺めながら、
自動ドアに吸い込まれていく。






「あの、院長は?」

 受付に行き、看護師を捕まえて訊ねる。
何時もなら素通りするこの場所を、今日はそういう気分にはなれなかった。

「院長先生なら、只今往診に出掛けております」

 眉一つ動かさず、看護師が答える。
その落ち着き払った動作が、せつらの癇に障る。
お前など、うちの院長に会う資格なんて無いのに。
そんなこと看護士は露ほども思っていないだろうけれど。
自分でも嫌になるくらいイライラして、けれど、これ以上その場に居ても仕方が無いので、
せつらは踵を返した。
ケーキを箱ごと、何処かに放り投げたい気分だった。

 自動ドアのセンサーにせつらの靴が引っかかる前にドアが開いた。
ざわり。
一瞬の溜息のようなざわめきの後、待合室は水を打った様に静かになった。






 幾多もの詩人がその美しさを表現しようとして叶わなかった男が
 神の見る夢から抜け出して来た様にそこに立っていた。






「お帰りかな」

 低く甘い声が、せつらに向けられる。
ドクター・メフィスト。
この病院の院長、その人だった。
往診の帰りだと言うのに疲れた顔一つせず、しっかりとせつらを見つめてくる。
全てを見透かすような視線。

 暫くそのままでいると、何時も無表情で精巧な彫刻の様なメフィストの顔が
ふっと緩み、その唇が緩やかに笑みの形を作った。

「大丈夫かね?」

 右手があげられ、せつらの頭をくしゃりと撫でる。
躯が、一瞬で軽くなる。
真っ直ぐな視線、
自分だけの為の言葉、
その微笑、
それだけで。
――いや、本当は、それさえあれば……。









「ねぇ、ケーキ買ってきたんだけど」

 何も無かった様に、せつらは右手を上げた。
小さな袋が二人の間で揺れる。

「では直ぐに紅茶を淹れよう」

「そうしてよ。さっき、酷く味のしない紅茶を飲まされたんだ」

 メフィストはせつらからケーキの袋を受け取りながら微笑んだ。

「よっぽど嫌いな相手と飲んだのだろう?」

「……なんで分かるかな……」

 お前の恋人だ、などとは流石にせつらにも言えない。
それを知ってか知らずか、メフィストは猶も笑みを深める。

「君のことだから、虫の好かぬ相手とのお茶会の元を取る為に
態々、此処までやって来たのかと思ったまでだ」

 君は根っからの商売人だから物事を損得でしか考えぬだろう?
と続いたメフィストのセリフは、せつらには届かなかった。

 ――虫の好かぬ相手との不愉快なお茶会の元を取る為に
メフィストに会いに来た、となれば、
それは即ち…………。













「お主、何処まで知っておる」

 小さく呟いたせつらの目の前で、メフィストは院長室のドアを開けた。

























・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
いずみ遊 2002年12月20日



*ブラウザを閉じてお戻り下さい*