Chiral *いずみ遊*



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 おまえは何時も、何処か寂しげに世界を見下ろしている。

 自分が一番だと偉ぶっている訳でもなく、
だからと言って自分を卑下しているなんてことは全く無い。
どちらかと言えば、自信過剰気味、と取れる発言も
それを裏づけするものがある以上、誰も反駁出来はしない。

 ただ、如何してだろう。
おまえは常に見えざる何かを探して、
悲しんでいる様に思うのだ。












「馬鹿馬鹿しい」

 口に出して何とか先程まで見ていた夢を、夢の中だけのことと
決め付けようとした。
六畳の畳の上にひかれた布団の上で、胡坐をかいて、
思うままに髪の毛を掻き毟る。

「あいつがいけないんだ……」

 せんべい屋の若旦那で、<新宿>一と謳われる人捜し屋の
秋せつらは、その天使かとも見間違う美貌に
ほんの少しの憂いをのせて溜息を吐いた。














 カツン、カツンと静かな病院の廊下にハイヒールの音が響く。
このメフィスト病院内で、そんなものを履く不届きな医者は
一人もいないので、それは訪問客のものと分かる。
けれど、せつらの前方からやって来るというそれだけで、
その可能性も否定される。

「あら、お早う」

 既に昼時と思われるのだが、平然とそう挨拶してくる女。
そして、万が一に辿り着けたとしても、
院長の許し無しに出てくることはほぼ不可能とされる院長室へ
出入りを許された女。

「もうこんにちわの時間だけどね」

 茫洋と微笑み返しながら、せつらはその女を軽く一瞥した。
シビウ。
ここの院長、ドクター・メフィストとは同窓だと言う。
だが、今はそれ以上の関係であることをせつらは知っていた。

「朝寝坊が過ぎたかしら。
大丈夫よ、彼は起きて仕事をしているから」

 妖艶な笑みをくれると、またカツン、カツンと歩き出す。
匂い立つ様な女の香りを隠そうともしない。
だけど……――

「今度は何時?」

 何時も端的にしか話さないせつらの言葉を正確に聞き取り
返答する。

「さぁ、気が向いた頃に」

 ――朝遅くに院長室から出てくる彼女は、
決まって、少しだけ気だるげに長く美しい髪を掻き上げる。
すると、微かに、本当に微かに、違う誰かの香りがするのだ。












「毎度」

 ノックもせずに院長室のドアを開ける。
シビウの言ったとおり、院長は大きな机の前に腰掛けて、
厚さが5センチはあろうかという本を広げていた。

「ノックぐらいしたらどうかね」

 せつらの予想通りメフィストは、言う。
しっかりとせつらの方を見て。

「別にいるって分かってたし、いいじゃん。
さっきあの人が出て行ったばかりなんだから。
それとも、疚しい事でも?」

 せつらは知らず、ベッドの方へ目を走らせていた。
勿論、その上に誰かが眠っていることも、また眠っていた跡さえ
無かったが。

「仮令そんなことがあったとしても、
君は黙ってドアを閉じてくれることを願っているよ」

 微かに笑ってそんなことを言ってくる。
この世のものとは思えぬ美を授かった医師。

「分からないよ。
写真を撮って売れば、僕は億万長者だ。
『あの<魔界医師>の私生活を激写』ってね」

「その場合、一割を君のツケを払う方に回して貰えないかね」

「藪医者め」

 他愛無い会話に、忍び込む熱。
せつらは右手で口元を覆いながら、
主であるメフィストに断りもせずソファーに腰掛けた。

 その拍子に清冽な夜の香りがした。

「客人は何時もここに寝かすの?」

 何気ない風を装って、土産に持ってきたせんべいの包みを開く。
今朝焼いてきたものだ。
勿論、失敗したヤツだけど。

「そんなに気になるのかね」

 メフィストは苦笑した。
せつらはあまりに唐突で、話が近すぎたな、
とざらめをぱり、っとやりながら
思ったが、言ってしまったことは仕方が無い。
それに……。

「そりゃ、ねぇ。
<魔界医師>と呼ばれる男がどんな生活を送ってるかなんて
区民みんなの謎だもん」

「君とてさして変わりはあるまい?」

 幸か不幸か、この医者はせつらの気持ちなど
露ほども知らないのだ。

「僕は包み隠さず、の生活はしてないつもりだけど」

 メフィストは肩を竦めた。
真っ白なケープが妖しく揺らめく。

「君の誤解を正すか否かは別次元の問題として話せば、
別に私に疚しい所など何処にもないと思うのだがね」

「……そうだろうね」
――寧ろ、疚しい心があるのはせつらの方なのだ。

 小さく呟いたそれは、しかしメフィストの耳に届いたらしい。
けれど、微かに眉を上げたっきり医師は何も言わない。
ただ表層の意味だけを汲み取ったのだろう。










――報われない。
――報われたいのか?
何時もの煩悶が始まる。
だから、あんな夢を見るのだ。
せつらは、二枚目のざらめを手に取った。










「ここは喫茶店じゃないと、何度言ったら分かるのかね……」

 知らない内に、四枚目のせんべいに手を伸ばしていた
せつらはまるい日本茶の香りに、漸く顔を上げた。
差し出された湯のみを有り難く頂戴することにする。
気が付けば喉がからからに渇いていた。



 ――湯飲みを受け取ろうとして、互いの指先が触れた。



「シビウが君に何を言ったか知らないが、
昨晩は我が病院で開発した新薬について意見交換していただけだ」








――………だから、どうして。






  どうして、このタイミングで、
  どうして、そのセリフが出てくるのだろう。
  そして
  どうして、その一言で、
  一喜一憂しなければならないんだろう。












「一枚戴くよ」

 するりとせつらの横に滑り込んだメフィストは、
何でもないことの様に、歪なハートの形をした厚焼きを一枚、手に取った。

















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いずみ遊  2002年12月3日





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