Touch *いずみ遊* 受話器を取って、耳に当てる。 指が覚えた番号をプッシュ。 程なくして、高い電気音が聞こえ始める。 それを無意識に、数える。 駄目だ。 期待している自分がいる。 忙しいことは分かっている。 なのに、この電話が通じることを、切に願っている自分がいる。 毎回毎回。 そして、何時も大きな落胆を得るのみで終わるのだ。 カチャリ。 「せつら?」 9回目のコールで電話が通じた。 驚きのあまり、受話器を取り落としそうになる。 「どうしたのかね?」 一番聴きたかった声が、細切れにされてやってくる。 電話というのは、しゃべっている言葉を限りなく細かく切って 送っているのだと教えてくれたのも、彼だった。 そんな、どうでもいいことばかり覚えている。 「どうもしないよ」 近くにあった座布団を手に取り、軽く曲げて抱きしめる。 時計を見ると、11時すぎだった。 この時間、勿論、病院内は消灯時間を過ぎているので、 急患や病態の急激な悪化などがない限り、比較的医者は暇だ。 けれど、ここ、<新宿>では、夜こそ医者が必要とされる時間だった。 だから、今の時間も彼が決して自由に使える訳ではない。 「そうかね、それは良かった。 ……静かだな。家にいるのかね」 「うん」 「空が見えるかな」 「見えるよ」 「今日は三日月らしい」 「ホントだ」 「少し声が掠れている。窓でも開けて寝たのかね」 「……会いに来て」 電話線の向こうで、ふっと笑う気配がする。 耳にその息が当たったような感覚がして、首の産毛が逆立つ。 「私も会いたいがね……」 「もう、一秒だって待てない。今すぐ会いたい」 子供は常に親に対し、少し上乗せして物事を要求する。 親はそれを知りながら、何処まで許すかを考える。 あまり大きく要求してもいけないし、大幅に許してしまってもいけない。 そうして、両者とも微妙な駆け引きをするらしい。 だとしたら、自分はそんな子供以下なのだ。 彼に対しては、100%の欲望をぶつけるしか能が無い。 しかし、誰があの男に対して妥協が出来るだろう。 「我儘なのは知ってるし、それをお前が嫌がっている訳じゃないというのも 知っている。 お前が患者を第一に考える姿勢を崩そうなんて気持ちはさらさらないよ。 だけど、僕がお前の患者にどれ位、意味の無い嫉妬をしているか、 お前、考えたことある?」 少しの間。 どんな顔をしているのだろう。 何を言い出そうと考えている? 返答を出す過程を、細かに説明して欲しい。 ――どれだけ、僕のことを考えてくれている? 「……ごめん。困らすつもりじゃなかった。 言ってみたかっただけなんだ。……ごめん」 結局、答えを聞くのが怖くなって、矛先を引っ込める。 「患者が一番大切」なんて、その口から、その声で言われたら、 きっともう、絶望で何も言えなくなってしまうから。 嫌われるとかではなく、大切な部分が無くなってしまう。 それが恐しくて、逃げる。 「せつら」 甘い声。 低く、胸に溜まる声。 その声が、自分の名前を呼ぶ。 その時の気持ちを、言葉では表現出来ない。 「君の我儘は、もう十分に聞いてきた」 ゆっくりと、言い含めるように。 彼の職業は医師なのだ。 「だから、私の我儘を一つ、聞いてくれないかね」 時計がカチリ、と11時半を指す。 「君を抱きたい。 今、すぐに、此処へ来てくれ。待っているよ」 その言葉を言ったっきり、電話は唐突に切られた。 ツーツー、としか言わない受話器を持ったまま、暫く呆然と 目の前の電話機を見つめる。 何と、言った……? 「……屁理屈め」 拗ねてみたものの、直ぐに口元が緩む。 抱いていた座布団を未練無く落とし、 立ち上がる。 会いに行くのも、会いに来てくれるのも、 結局会えるのだから、どちらでもいいのに。
夏企画リク。「歌をもとにした小説」By yukiさん。 おそくなってすいません。 元の曲は稲葉浩志のAL「志庵」の中の曲、Touchです。いい曲です。 いずみ遊 2002年10月13日 *ブラウザを閉じてお戻り下さい* |