*興味本位で覗いてはいけません。本当に、黒白小説です。*









 侵食 *いずみ遊*










 夜の帳が下りる。
蒼が刻々と、漆黒と塗り替えられていく。
その中を輝き始める星。
<魔界都市>新宿。
光の消えないこの街で、星など両手で足りるくらいしか数えられないが、
それでもこの街が広大な宇宙の片隅にあるということが実感できればいい。

 メフィスト病院、院長室の窓から、外をじっと見ていた
黒い天使――いや、一目見たらあらゆる美の基準を変えたくなる、
そんな美貌を持った青年は、ふと振り向いた。
ちょうどその時、このメフィスト病院に一台の黒いリムジンが
乗り付けたことを、彼以外に知る者はいない。

 暫くの時を数えて、院長室の重厚なドアが似合わず音も無く開いた。
似つかわしく、とも言えた。
今宵の夜空から月が迷い込んできたと、詩人は筆を走らすだろう。
ドクター・メフィスト、この部屋の主が帰ってきたのだ。





「おかえり」

 青年は――秋せつらは、安楽椅子から立ち上がり、主人を迎えた。
対するメフィストは微かに口元を綻ばせた。
<魔界医師>と呼ばれる彼を知っている者なら誰でも
目を剥いて卒倒しそうな位、儚げに微笑んだのだ。

「来ていたのかね」

「ああ、煎餅を届けに。
――大丈夫?顔色悪いけど」

 大きなデスクに置かれた「秋煎餅店」の文字が入った紙袋を一瞥し、メフィストは首を横に振った。
少し遅れて、黒髪が淡く光を反射しながら揺れる。

「シャワー、浴びてきなよ。酷いよ」

 院長室に入ったきり一歩も動かないメフィストに歩み寄り、その繊手を取ったせつらは顔を顰めた。
普段から対して熱を持っていないその手が完全に血の気を失っていた。
幾ら、朝夕の冷え込みが厳しくなってきたからといって、
今はまだ夏から秋への季節の移り変わりの時期である。
医者の不養生、とはまさにこのことだ。

 せつらはシャワー室へとメフィストを押し込め、「僕のことは気にするな」と言ってドアを閉めた。

 少しして、水音が聞こえてきたのを確認してから、せつらは院長室を後にした。
















 かちゃ、とシャワー室のドアが開き、少し人間らしさを取り戻したメフィストが出て来た時、
せつらはベッドの上に座っていた。

「こっちこっち」

 おいでおいで、と手招きする右手には、櫛、
膝の上に置かれた左手にはドライヤーがそれぞれ握られている。

「そんな格好で出てきたら風邪引くじゃないか」

 腰にバスタオルを巻き、肩からもう一枚の掛けた、
それだけの状態で出てきたメフィストに、せつらは眉を顰めた。

「君が後先考えずに私をシャワーへと追い立てるからだろう」

 言いながら、せつらの横に腰掛ける。
白蝋の顔に、しっとりと濡れた髪の毛が纏わりつく。
漆黒の髪と、透き通るような肌。
それから瞳を逸らすように、せつらはメフィストの背後に胡坐をかいた。

「何処から持ってきたのかね」

 ドライヤーの電源を付けたせつらに、メフィストが静かに尋ねる。
せつらはメフィストの髪に櫛を通しながら、え?と聞き返した。
ドライヤーの音で聞こえなかったらしい。

「ああ、これ?婦長さんに頼んだんだよ。
おまえの髪の毛、自然乾燥なんて不可能だろうから」

 たっぷり水を含んだ髪は、シトラスの香りを漂わせながら滑らかに櫛を通す。
丁寧に、髪を掬いながら、ゆっくりと熱を当てていく。
まるで、煎餅に醤油を塗っている様だ、とは心の中だけで思っておく。

 そうして、八割方乾いた一房を、肩の前に持っていこうとし、
せつらはメフィストの肩に掛かっているバスタオルを取った。
折角、まっすぐに流れる髪が、タオルに引っかかってばらけるのは忍びなかったのだ。
近くから見るとより一層、その肌理の細やかさが実感できる肌は、なんの抵抗も見せずその髪を滑らせる。
そして必然的に顕わになる白い……――





 カチリ。





「……ごめん」

 せつらはドライヤーの電源を切って、背中からメフィストを抱きしめていた。

「いや」

 メフィストは、帰ってきた時よりは数段温かい繊手をせつらの腕に添え、肩越しに振り返った。

「抱いてもいい?」

 耳元に、吐息のように、けれどはっきりとせつらが言った。
メフィストは眉一つ動かさず、返答する。

「――私に抗う理由がないことを、君はとうに知っているのだろう?」
















 せつらはそのまま、黒髪の下から現れた項へと唇を寄せていた。
それは、避け難い衝動だった。

 信じられないくらい淫靡な男。
けれど、秀麗さを決して失わない男。
彼を堕とす過程を考えるだけで、喉が鳴る。
肌を覆う全てを剥ぎ取って、他の誰もが知ることの出来ぬ
裏の裏まで唇で触れていく。

「髪、ぐしゃぐしゃになるかも知れない」

 未だ雫を落とす髪を一房とって口付けたせつらに、
メフィストは構わない
――君に乱されるなら、いい、とそう告げた。

 それが髪のことなのか、それとも別のことをさしているのか、
せつらは考えることを放棄して、凶悪な言葉を真摯な口調で告げる唇を封印した。
紅を引いたかのような、鮮やかな唇。
伏せられた瞼。縁取る長い睫毛。
躯のどの部分をとっても、せつらを誘っているとしか思えない造り。
彼は、神がせつらの為に創造したのではないか、と思う程に。





 ゆったりと、疲れた躯を解す様に、口付けと愛撫を繰り返す。
求めるのは大抵、せつらの方だった。
メフィストのふとした色香に煽られて、見境無く抱いてしまう。
それを、メフィストは仕方ないなと苦笑しながら受容する。
そのパターンの繰り返し。
もっと丁寧に愛し合いたいとは思うのだ。
けれど、そんな決意はメフィストに触れた途端に瓦礫と化す。
――今日こそは、と何度誓ったことか。





「せつら」

 気持ちよさげに瞳を閉じていたメフィストが、せつらの名を呼ぶ。

「何?」

 やめよう、とか急患だ、とか言われるのかと思って身構えたせつらを
メフィストは微かに笑って、そうじゃない、と言った。

「そんな壊れ物を扱う様に抱かなくてもいい」

 言いながら、メフィストはすっと、せつらの脚に指を走らせた。
メフィストの腰の上で馬乗りになっていたせつらがびくん、と躯を強張らせる。
その行為が、強請っている様にしか見えないと、
メフィストは知っているのだろうか。

「でも、お前体調悪そうだし……
それに、いつも何も考えずにお前のこと抱いちゃうから」

「嫌ならば嫌だと言う。
だから、君が気を回す必要などないのだよ、せつら」

 許されている。
全てを、この男に。
それは、せつらを酷く安心させた。

「けど、もっとゆっくり、お前を堕としたいんだ」

 メフィストの頬から首、肩へと手のひらで熱を与えていく。
目を細めたメフィストはせつらへと腕を伸ばした。

「それはまた今度でいい」

 メフィストを抱き寄せたせつらは、何故、と訊ねた。

「分からないのかね?
私の躯はこんなにも冷えてしまっている」

 ――確かに、抱きしめたメフィストの躯はまるで
水風呂に使っていたかのように冷たかった。

「責任は取ってくれるのだろう?」

 そう、濡れたままの髪の毛が、メフィストの躯の熱を奪っていたのだ。
そして、その原因は、元はといえばせつらにあった。

「ああ。
――お釣りが出るくらいには」

 せつらは優しくメフィストの耳朶に口付けた。
結局、今日も免罪符を与えられてしまった口惜しさと、
全てを受け入れてくれる恋人への愛しさを込めて。























「好きだよ、メフィスト」
 ――そう、囁いて、闇は月を侵食し始めた。





























一言1777キリ。
リクは「黒白的小説」By堕天使さん。
白黒だろうが、黒白だろうが、メフィがかっこよくて、
せっちゃんがベタぼれなのは一貫して変わりませんでした。すいません。
いずみ遊 2002年9月18日





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