Episode *いずみ遊* <魔界都市>新宿。 異形のものでも、生を全うしようとするならば 自由を約束される地。 それ故に、他人の生を脅かすものは、誰かに生を脅かされる。 ――皆、生きるのに必死なのだ。 白い医師が、昔、そう呟いた 黄昏時。 廃墟となった旧都庁の屋上に、一羽、黒い鳥が舞い降りた。 否、それは人だった。 真っ黒いコートが風を受けて勢い良くはためく。 もしも、地上から彼を見れる者がいたら、きっと法悦境に浸れたであろう。 彼の、人知を超えた美しさ故に……―― 秋せつら。 <魔界都市>新宿の主とまで言われる彼である。 吸い込まれそうに紅い夕焼けが、地平線の彼方へ沈むまで、 せつらはそこに立ち尽くしたままであった。 それが如何に困難なことか。 地上数百メートルで吹く風は、人一人、軽々と大空へ舞わせることが 出来る強風なのだ。 その風に、目にも見えぬ細さの糸で耐えているなどと、 看破出来る者は、恐らくいまい。 夜の帳が完全に下りた時、美しき魔人は漸く瞳を開いた。 見つめられれば、曼陀羅華ですら己の醜を恥じて枯れるような、 そんな瞳であった。 その瞳が、ちょうど真正面に昇った月を捉える。 レモンシャーベットの様な淡い月。 すっ、と右手が上がる。 「いい加減、正体を見せたらどう?」 風が凪いだ。 まるで、せつらの声を掻き消すまいとする様に。 「大層ご立腹なさってるんだよね、短気な藪医者が」 何も変化は起こらない。 いや、ゆっくりと変化は起きていた。 月が、欠けていく……―― 「逃げる気か?――「私」の糸から」 その瞬間、きん、と空気が凍った音がした。 茫洋とした月夜に相応しい雰囲気が、 鋭く、より魔性のものへと近付く―― 微かにせつらの右手が揺れ、月の欠けが止まった。 「大人しく姿を現せば、あの医者に引き渡してやろうかとも思っていたが、 そうはいかぬな。 ――私に会ってしまったからには」 完全に魔の者へと変化した彼にとって、 始末は一瞬のことであった。 赤子の首をひねるがごとく……事実、そうであったと、彼と、 ……その隣りに突如として現れた白い医者のみが知っていた。 「油断も隙も無いやつだな、おまえは」 「お褒めに預かり光栄だ」 秋せつらと肩を並べても、引けを取らない白い美―― ドクター・メフィスト。 せつらに気付かれずに現れる人間は、この街にも 一握りしかいないであろう。 流石、<魔界医師>。 「おまえの獲物だったが、殺してしまった」 「構わぬ。「私」の君に殺されたのであれば、あれも本望だろう」 「あれとは何だ?」 「――取るに足らないもの、とでもしておこうか」 「藪め。説明になっていない」 メフィストはひっそりと笑った。 「弱いが故に、悪知恵だけが働く、妖魔としか説明しようがない」 せつらは肩を竦め、目の前に何事も無かったように浮かぶ月を見る。 もう、何時もの茫洋とした雰囲気が漂い始めている。 医師は少し残念そうに眉を寄せたが、せつらはその視線を避けるように、 地上へと飛び降りた。 「全く、君は……」 凪いでいた風が思い出したように吹き始めた時、 確かにそこにいた白い医師は跡形も無くいなくなっていた。 他の生き物の生気を吸う事で生きていた弱小の妖魔。 それが地上で生きていれば、メフィストも気にすることはなかった。 この街では、何を食料としようと構わない。 人間への害があれば、何らかの対抗策が出される、それだけのことだ。 ただ、その妖魔が月に目を付けたのがいけなかった。 月の光を浴びる全てのものの生気を吸う。 その行為がメフィストの目に留まったのだ。 地上で生きる者達から、動くことなく生気を奪う、 それはあまり美しいと言える生き方ではなかった。 「この街が好きだ。 誰も彼も一生懸命に生きようとしている」 それは、二人の魔人が共通して持つ想いだから。 真っ当に生きろとは言わない。 ただ、自分の生に真面目に生きてくれ。 こんな地獄みたいな街だけれど、 生きている者は皆、美しいだろう? いずみ遊 2002年7月9日 *ブラウザを閉じてお戻り下さい* |