I can be of your service *いずみ遊*
書き物をしていたメフィストがふと顔を上げた。
私立メフィスト病院。
<区内>だけでなく、<区外>からもこの病院、
そして院長であるドクター・メフィストの治療を求めてやってくる人が
絶えない。
そんな病院の院長室には今、院長の他に、もう一人、人間がいた。
秋せつら。
西新宿でせんべい屋を営む彼だ。
「どうしたのかね、今日はやけに大人しいな」
ソファーに座り込んだまま、もう1時間も動かないせつらに、
メフィストが声を掛けた。
部屋に入ってから、一度も顔を合わせていない。
仕事中は気にならなかったが、考えてみるとおかしい。
「……別に」
ぶっきらぼうに、返答が返って来る。
機嫌が悪いのだろうか。
茫洋とした雰囲気は変わらないけれど。
「そうかね。ならば良いが」
そう言って、メフィストはまた、書類へと目を落とした。
せつらは、目線を元に戻したメフィストを横目に見て、
そっと、気付かれないように溜息を吐いた。
そしてお茶でも淹れようと立ち上がる。
その動作に、メフィストの視線を感じたような気がするが、
気にしない。
勝手に玉露を取り出して、急須に入れる。
ふと、手を止めて、口を開く。
「おまえもいる?」
「……では、頂こうか」
予定変更。玉露追加。
湯のみも二つ。
せつらと知り合う前に、この院長室にお茶セットが
置いてあったかどうか、定かではないが、
きっと無かったに違いない。
ポットから、熱湯を急須に注ぐ。
湯気とともに、お茶のいい香りが広がる。
お茶請けは、せんべいでいい。今日はざらめと厚焼き。
今朝、自ら焼いた品だ。
少し焦げているのは、ご愛嬌。
ゆっくりとお茶の葉が広がるのを待つ。
穏やかな時間。
けれど、この時間が一番難しい。
せつらがお茶を上手く淹れられた試しは無かった。
何時も、時間が早すぎるか、遅すぎるか。
大体、どんなことにおいても、適当とは難しいものなのだ。
この位、と決心して、急須を傾ける。
勿論、湯のみは前もって、白湯で温めてある。
とろとろと、薄い緑色の液体が、湯飲みに注がれる。
いい色。
せつらは満足しながら、お茶を淹れる。
最後の一滴がおいしいとよく言うけれど、
どこが最後の一滴なのか、せつらにはよく分からない。
とりあえず、傾けられるだけ急須を傾けて、
勝手に最後の一滴と命名した一滴を注ぐ。
愛しげに湯のみと、せんべいを入れた器を
お盆に載せ、メフィストの目の前に持って行く。
「はい、お待ち〜」
湯のみを置いた手を、ふいに掴まれた。
反射的に手を引こうとして、お茶を零す。
それを気にも留めず、メフィストが机越しに口付けてきた。
「ちょ…めふぃ……」
お盆を持った片手が震える。
堪らず、叩きつけるようにお盆を机に置いた。
散々せつらの口内を貪った後、始まったのと同様、
突然、メフィストが唇を離した。
せつらの口から非難の声が上がる前に、メフィストが
口を開く。
「私のことが嫌いになったのかね?」
あまりに唐突な質問すぎて、せつらは一瞬、頭が真っ白になった。
嫌い?
誰が、誰を?
「……え、……何……」
辛うじて言えた言葉も、あまり的確な文章にはなっていない。
「久々に来たと思ったら、話もしないで黙りこくってばかりで、
しかも、自らお茶を淹れるなど、そう邪推してくれと言っている様な
ものだが?」
せつらは今までの自分の行動を振り返る。
部屋に入る。
メフィストを一目見て、そのままソファーに座り込む。
一時間後、突然、お茶でも淹れようと立ち上がる。
しかも、普段はまともに淹れないメフィストの分まで。
――確かに、別れを切り出す様な雰囲気であったかもしれない。
「何か気掛かりなことでもあるのかね」
少し零れたお茶を、一口で飲み干して、メフィストは席に着いた。
下から顔を覗かれる。
せつらは顔を背けた。
「違う……」
「……そうかね。言えぬことならば詮索はしまい」
せつらは慌てて顔を上げた。
「違うんだ、……おまえが嫌いになったとかそういうんじゃない!
……むしろ、逆だ……」
最初は勢いが良かったが、次第にまた、顔が下がってくる。
「もっと……。
あの日からずっと、何をしても、思い出して、
仕方なくなって、会いに来た。
でも、顔みたら、触れたくなって、だから……」
まったく文法を無視した日本語ではあるが、
メフィストは最後まで聞いてやった。
怒っている訳では無いのに、と思いながら。
「おかしい。
おかしいかな、僕……」
「さて。私には何とも言えぬが」
「おまえの所為なんだ……、元はといえば」
「そうかね」
「おまえがキスが上手いのがいけない。
おまえがセックスが上手いのがいけない。
おまえの声がいけない。
おまえの存在がいけない。
……その所為で僕がおかしくなる」
「本望だな」
何時の間にかにせつらを背中から抱きしめたメフィストが笑う。
首筋を唇でなぞられ、せつらはああ、と喉を曝け出した。
「メフィスト、好きだ」
「知っている」
「それでも言いたい」
身体を器用に反転させ、メフィストと向かい合う形になる。
首に腕を回し、長い髪を一房とって、弄ぶ。
そんなせつらを見て、メフィストが笑みを深めた。
「何がおかしい」
文句があるのか、とガンつける。と、本人が思っているだけだが。
ここまで言えば、怖いものはない。
「いや、……君は口付けをして欲しい時、何時も私の髪をとる」
予想外の言葉に、思わずせつらは
右手に絡めたメフィストの黒髪を見る。
そうなのだろうか。
そうかもしれない。
けれど……――
「今日ははずれだよ、メフィスト」
そして、疑問を挟みそうな口を封じてしまう。
結局は、キスをしているのだけれど。
薄く、口紅でも注したかのように紅い唇を食む。
濃厚な花の香りは、それだけで欲望を駆り立てる。
せつらは、メフィストの耳元でそっと囁いた。
……抱いてくれ、と。
身体を繋いだ時から
愛しさが、増幅されて、
きっと、もう、一秒だっておまえを欲しない時なんてない
「御意に……――」
メフィストの言葉が、心地よく、耳に響いた。
いずみ遊 2002年6月17日
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