捕獲 *いずみ遊*








 ◆追撃者?◆

 朝が来た。
 昨日あれだけ早く眠ったからだろう、まだ陽も出ていない。
新聞配達のバイクの音がする。
 布団から手を伸ばして、電源を切りっぱなしだった携帯を探す。
 着信なし。
新着メールなし。
 投げるように、携帯を置いた。
 布団をたたむ。
たたんだはいいが、そのままぱたんと布団に倒れ込む。

 ミイラ取りミイラになる。

「眠った気がしない……」
 もう一度寝てしまおうか
それとも……――

「寝込みでも襲ってやるか」
 西新宿のせんべい屋は早朝から物騒な言葉を吐いた。











 ◆逃亡者の逃走経路についての考察◆

 舌を出して、せんべい屋が院長室から去った後、受話器は戻された。
医師は誰とも会話などしていなかったのだ。
 せんべい屋が倒した椅子を、元に戻し、指輪を煌かせた。
空中にホログラフィーが浮かび、看護婦の顔が映し出される。
「明日の午後まで、面会謝絶にしてくれたまえ」
 医師の言葉は絶対だった。











 ◆落とし穴について◆

 せんべい屋は旧区役所跡地に建てられている病院へと入った。
ここは24時間営業だ。
ロビーにも勿論、昼間よりは数が少ないとはいえ、
治療を待つ多くの人間がいた。

「院長は?」
 受付でせんべい屋に聞かれた看護婦は目を伏せた。
そうでもしなければこのせんべい屋の美しさに口も聞けなくなってしまう。

「院長室でございます」
 看護婦は平然と言った。
おかしい。
医師の命令は絶対ではなかったのか?
 ……いや、違う。
医師の命令には、全てこう注釈が付けられる。
――但し、西新宿のせんべい屋が望む場合は除く、と。











 ◆侵入◆

 何時もの通り、せんべい屋は病院内を歩いていた。
この病院の構造を理解しているのは、院長のみというのは
本当の話で、時々、良からぬことを考えた患者や見舞い人などが
迷子になって、2ヵ月後に発見されると言った事が起こる。

しかし、せんべい屋の歩みに躊躇いや迷いはない。
彼がこの病院で迷ったことなど皆無だった。
難なく院長室まで辿り着いたせんべい屋は深呼吸を一つ。
そして、ドアベルを鳴らさずに重厚な造りの扉を押した……――











 ◆追撃開始◆

 相変わらず静寂な部屋は、照明が落とされていた。
勿論、真っ暗という訳ではなく、暗い青に……
喩えて言うならば、深い海の中の様だった。
 そういえばこいつの隠れ家も海の中だった、と
せんべい屋は思い出していた。

 肝心の逃亡者はベッドに横たわっていた。
普段から透き通るような肌が青い室内の中で病的な程白く映えている。
そのくせ、唇ははっとするほど赤い。
淫靡で酷く官能的な情景だった。

「おい、起きてるんだろ」
 銃口を向けながらせんべい屋は静かに言った。
相手との距離は、殆ど無い。
「何かね、こんな朝早くから」
 逃亡者である医師は唇だけを動かした。
まるで、それだけで事足りると言わんばかりに。
「寝込みを襲いに来た。大人しく殺されろ」
 更に距離を詰める。
逃亡者はそれでも動かない。
「君がそうしたいのならば」
 逃亡者が言うや否や、せんべい屋は引き金を引いた……――











「しかしその場合、どうなるのかね?」
 散々唇を貪りあってから、医師は濡れた唇を拭おうともせず、
自分の上に馬乗りになっている人物を見上げた。
「何が」
 追撃者はこれ以上何の疑問を挟むのだと、逃亡者を見返した。
逃亡者が全面降伏した時点で彼の目的は果たされている。
「私が殺すのではなく、私が殺されるのか?」
 せんべい屋は、さてね、と肩を竦めた。
「僕は、おまえの気持ちを全く聞いてない。
令状なしで、逮捕はできないよ」
「……君も大概、鈍いな……」
 医師の呟きはせんべい屋には聞こえなかったらしい。
愛しげに医師の頬へと手を伸ばす。
これ以上、殺意を隠して、どうしようか。
敵と相見えた今、そんなことをする必要はどこにもなかった。

「けど、令状なしでも取り調べは出来るからね」
 そう言いながら、追撃者は再び逃亡者の上に覆い被さる……――











「……任意同行が必要だがね」

 瞳を閉じながら、医師は鹿爪らしく言った。













いずみ遊 *2002年5月2日


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